1月28日(水)に《プチ鹿島 『教養としてのプロレス』出版記念トークライブ IN 新宿ロフトプラスワン》をおこないました。

ゲストは新日本プロレスのエース・棚橋弘至選手。昭和からプロレスを見続けている私にとって現在のトップ選手が来てくれるというのは最高の至福。ビックマッチだ。「1・4」ならぬ「1・28」。

とにかく客層が凄かった。最近プロレスにハマったという20代の女性から昭和プロレス者の男性まで混然となった超満員の「おしゃべりのワンダーランド」状態。

棚橋弘至は新日本プロレスを劇的に変えた選手だ。一時期は「チャラ男」と呼ばれ、どんなに激しいファイトをしても姑のような古参の新日信者からブーイングを受けた。猪木が掲げた「新日本=ストロングスタイル」には似合わない、と判断されたからだ。

この状況から棚橋がどうやってブーイングを声援に変えていったか。「ポジティブ思考の前にすべてを受け入れる」ことにしたのだ。そこからのスタート。

一生懸命やっていれば新しいファンには必ず伝わると信じ、そのために日常を犠牲にしてプロモーション活動に励んだ。「プロレス」を知らない人には「棚橋弘至」に興味を持ってもらうことにした。自分で「100年に1人の逸材」と言い続けた。プレゼンの鬼と化した。

地道な努力の結果、新日本プロレスは新規観客の獲得に成功し、今やV字回復の真っ最中。最近は棚橋選手には企業からの講演依頼が多いと言うがそれも納得である。

この変革ぶりをみると思うのだ。アントニオ猪木にいちばん遠い存在と思われた棚橋弘至だが、実はもっとも猪木に近いのではないか?と。猪木は馬場を超えるために「ストロングスタイル」を、世間には「プロレスこそ最強」を発信し続けた。その結果、猪木史観ともいうべきプレゼンに成功したのである。

かつて猪木は「ジャングルが危機に瀕しているならジャングルを守るのではなく新しいジャングルを作ればいいじゃねえか」と言った。これで言うと、ジャングル(ストロングスタイル)を守ろうとしたレスラーはたくさんいたが、棚橋弘至は遂に新しいジャングルをつくったのだ。最強から最高へ、という新・新日本プロレスを。

棚橋弘至が「猪木と表裏一体説」はこうも説明できる。新日本プロレスを「喜怒哀楽」で例えるなら、猪木は「怒」と「哀」で勝負してきた。残りの「喜」と「楽」を棚橋が現在やっているのだ。

ここでいう「喜」「楽」とは観客目線。会場に足を運んだファンに来てよかったと思わせて家路に着かせる。今の時代、ファンは気長に付き合ってくれないという現実もある。一発必中で満足させなければ他のエンタメに行ってしまう。「喜」「楽」に命をかける棚橋はやっぱりストロングスタイルと言えまいか。

これをトークライブで棚橋選手本人にぶつけたら、少し照れたあと「この喜怒哀楽の話、どこかで使っていいですか?」。

やはり棚橋弘至はプレゼンの鬼だった。

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