――料亭というと赤坂や神楽坂のイメージがありますが、円山町もたくさんあったんですね。
「もともと明治時代、神泉に『弘法湯』という公衆浴場があって、そのまわりに料亭ができていったのが始まりです。明治の後半には、一大歓楽街になっていたようですね」
現在、円山町には3軒の料亭が残っている。ラブホテル街にいまなお残るその佇まいには、どこか粋な雰囲気が漂い、当時の雰囲気を忍ばせる。
円山町に今も残る料亭「三長」
――当時のお客さんはどういう人達だったんですか?
「まずは政治家。それから代々続く呉服屋の旦那さんに一流企業の重役や中小企業の経営者、それと芸能人、スポーツ選手ですね」
――いろいろ浮名を流すこともあったんでしょうか。
「総理大臣経験のある有名政治家は、ある料亭の女将が愛人だったというのは、この街の知る人ぞ知る話です」
――男と女の町だったんですね。
「それは花街がなくなった後も変わらなくて、ここのラブホテルに通いつめている政治家もいますから。檜風呂のあるホテルとか、出入り口がふたつあるホテルにお忍びでよく来るらしい」
――今も昔も変わらず、男と女の町なんですね。
次回はいよいよ東電OL事件について。本橋氏が18年目にして知った真実とは?
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