かつて、週プロが一般週刊誌より売れた時代があった。ターザン山本編集長時代(80年代末~90年代中盤)のことだ。賛否両論の主張、扇動的なコピー、徹底したスキャンダリズムの実践は中毒性を生んだ。そのターザンの下で学んだ佐藤編集長は「僕の中の雑誌記者としての遺伝子がそうさせたことも否定しません」と言っている。

私の目を引いたのは次の言葉。「20~30年前にスキャンダルが当たり前だったのが、いまはなぜこんなにも清廉なプロレス界になったのか。時代が違うのでしょうが・・」

戸惑いを正直に述べているのだ。時代の変化に対して揺れている。意外だった。週プロは今の時代に合わせてドライに対応していると思っていたからだ。

自分の考えを言うと、プロレスにはいろんな意見や見方があっていい。私などはリテラシーなどという小難しい言葉を知る以前から、プロレスマスコミのおかげで情報の読み比べや受け取り方について学ぶことができたと真剣に感謝する者である。

プロレスをみんなで盛り上げていこうという現在の動きは嬉しい。しかし、行間や想像力や下世話さを含めた「プロレスを考えることは悦びである」的な、プロレス者のめんどくさい行為が淘汰されたら寂しい。

業界側の人間が、せっかくの復興に水を差すことはするなと言うのはわかる。ネガティブなことは言うなという気持ちもわかる。でも受け手のファンもそういうムード一色になったら危険だ。だってそんな無菌室のような気味の悪い世界に「世間」は寄ってこないからだ。近寄りがたい。

「いまはなぜこんなにも清廉なプロレス界になったのか。」プロレスマスコミのまん真ん中にいる週プロ編集長の言葉だから興味深かった。

揺れればいいと思う。「古い考え」「今はそんな時代じゃない」と言われて迷うこともあってもいいと思う。その様子をたまには見せてほしい。葛藤や煩悶を垣間見ることができるのはプロレスファンの特権であるから。


本日の新着記事を読む

  1. 1
  2. 2