──少年時代、日本のプロレスラー、アントニオ猪木の存在は知ってましたか?

フライ たしか6~7歳の頃だと思うけど、当時住んでいたバージニアにアントニオ猪木がプロレスの試合に来たことがあるんだよ。

──へえ~、そうだったんですか。

フライ 当時はまだ日本人を見るのも珍しい時代だからね。それもあってよく憶えていたんだ。

──では、1976年にアントニオ猪木vsモハメド・アリの異種格闘技戦が行われましたが、当時、その試合のことは知っていましたか?

フライ もちろん知っていたし、試合もちゃんと観ているよ。

──どんな感想を持ちましたか?

フライ グレートマッチ! 当時としては最高の試合だったの一言さ。とにかく緊張感があったし、アリとイノキさんというスーパースターが向かい合っているだけで魅了されるものがあった。異なる競技のファイター同士ということもあり、なかなかお互い踏み込むことはできなかったが、少なくとも1ラウンドはグラウンドゲームもあり、ボクシングとプロレスラーによる、まさにミックスド・マーシャル・アーツだったね。

──その猪木さんと、将来、闘うことになるとは、当時は思いもしなかったでしょうね。

フライ いまでも信じられないよ(笑)。イノキさんと出会って、そして東京ドームで対戦できたことは、とてもグレートな経験だ。

──フライ選手はUFCでプロ格闘家になる前、消防士をされていましたけど、当時はプロレスラーになる気はなかったんですか?

フライ いや、プロレスラーは子供の頃からの憧れだったからね、もちろんなりたいと思ったさ。ただ、当時のプロレスラーはみんな身体が大きく、身長は6フィート5インチ(195センチ)以上、体重は300パウンド(136キロ)を超えるような大男がたくさんいたから、直接プロレスラーになってトップを目指すのは時間がかかると思ったんだ。だからまず、UFCで成功を収めて、有名になってからのほうが近道だと考えたのさ。

──なるほど。消防士を辞めて、プロ格闘家になるときは、何かきっかけがあったんですか?

フライ ちょうど離婚したこともあって、自分の人生に変化がほしかったんだ。それで、子どもの頃から慣れ親しんだ、アスレチック的なことをすることに決めたのさ。オクラホマ州立大学ではカレッジ・レスリングのチームメンバーとして、全米チャンピオンになることもできたし、個人的にボクシングも習っていて、その後は柔道もやっていたからね。3つの異なるスタイルの格闘技を経験した自分に、アルティメット・ファイティングは合ってるんじゃないかと思ったのさ。

──当時、消防士の仲間たちはなんて言ってましたか?

フライ 「お前はクレージーだ!」ってみんなに言われたよ(笑)。でも、自分がUFCで優勝したあとは、みんなが祝福してくれたね。

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