昭和のプロレス黄金期を彩った外国人レスラーが、また一人、この世を去った。
ウィリエム・ルスカさん、享年74。
1940年、オランダに生まれたルスカさんは入隊した海軍で柔道に出合う。すぐに頭角を現し、世界選手権で2度の優勝に輝いたあとの72年、ミュンヘン五輪の柔道男子93キロ超級と無差別級で2階級制覇の偉業を達成した。

「オランダ柔道界の英雄だったルスカさんですが、奥様の病気の治療費を稼ぐため、プロ格闘家に転向。76年2月、アントニオ猪木を相手に『格闘技世界一決定戦』でプロデビュー。激闘の末、TKO負けを喫したものの、全身を真っ赤に染め上げる闘志むき出しのファイトで、試合を大いに盛り上げました」(スポーツ紙記者)

以後、ルスカさんは新日本プロレスに定期参戦している。当時、同団体のメインレフェリーで、外国人の世話係も務めていたミスター高橋氏はこう語る。
「ルスカはナチュラルパワーというか、腕っぷしの強さが半端ではなかった。巡業中にリック・ハンターというレスラーとケンカになった。慌てて止めに入ったのですが、ルスカが腕で振り払っただけで、当時100キロあった私は吹っ飛ばされてしまいました」

ケンカの強さから、レスラー仲間も一目置いていたルスカさん。やはり、元金メダリストの"肩書き"はダテではなかったようだ。
「巡業先の体育館に併設された柔道場をのぞくと、ルスカもちょうど来ていた。壁に掛けてあった柔道着が目に入り、出来心でちょっと手合わせをお願いしたのですが、すぐ後悔しました。道着の上衣だけを着た私がルスカと組んだ瞬間、畳に強く打ちつけられていた。まさに電光石火でした」

それで終わりかと思いきや、その後、ルスカさんは笑顔のまま"柔道レッスン"を続行したという。
「もちろん、手を抜いてくれているんですが、とにかく強烈。"ギブアップ!"と言っても、ちゃめっ気たっぷりに"NO~NO~"と言って引き起こされました。ルスカお得意のイタズラ心だったんでしょう」
腕っぷしの強さと並び、有名だったのがこのイタズラ好き。グレート・アントニオのシャツが臭いからとバケツに入れて小便をかけ、控え室に置いてあったスタン・ハンセンのメガネのレンズを油性マジックで黒く塗る……そのイタズラは、とにかくぶっ飛んでいた。
01年、ヨットでの航行中に脳出血で倒れ、長らく闘病生活を送っていたルスカさん。オランダが生んだ永遠の悪ガキに、合掌。

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