2013年9月7日、ブエノスアイレスの地で2020年五輪開催地が東京に決定。スポーツには壁がある。それは記録であり、難しい技だ。それを乗り越えるため、選手たちは努力を重ね、ついに、それを果たす。その瞬間の感動秘話を紹介しよう!

心、技、体を磨き上げた女性たち 日本中が感動! スポーツ記録が生まれた瞬間 瞬間その2
岩崎恭子・平泳ぎ バルセロナ五輪92年7月27日


「いままで生きてきたなかで一番幸せです!」
14歳の少女は目をクリクリさせながら、テレビの勝利インタビューに、そう答えた。

92年、バルセロナ五輪、競泳女子200m平泳ぎ決勝。ノーマークだった岩崎恭子の泳ぎは実況アナウンサーを興奮させた。最後のターンからの追い上げは、まさに神がかり。五輪前「残れればいいほうだと思います」と話していた決勝で、並み居る強豪の上を行く2分26秒65という五輪記録を叩き出して優勝。
36年のベルリン五輪の前畑秀子以来、日本人女性として56年ぶりの競泳優勝には、14歳と6日での競泳史上最年少金メダルという、現在も破られていない新記録も計上された。

岩崎は三姉妹の次女。5歳のときにスイミングスクールに通い始めると、あっという間に日本でも屈指のレベルの選手に成長した。小学6年で早くも全国大会で優勝するなど、将来を嘱望されるようになる。
この勢いでバルセロナ五輪選考レースでは2位に入り、見事、五輪への切符を手に入れた。

その後、彼女は五輪合宿に参加し、スイミングスクールとは異次元の厳しい練習と出合う。
「岩崎は、あるインタビューで"一所懸命の上に当たる言葉はなんだろうと考えた"と答えています。彼女にとっては想像を絶する過酷さだったんでしょうが、選手としての成長期に代表レベルのトレーニングを積んだことが、彼女をより高いレベルに押し上げたんだと思います」(スポーツ紙記者)

この五輪合宿でのトレーニングのほかに、金メダルを生んだ要因がもう一つ考えられる。それはマスコミの対応だ。

当時、マスコミの注目はエース・千葉すずに集中。そのため、岩崎はプレッシャーに悩まされることもなく本番に臨み、最高の結果を出すことができた。
だが、五輪記録と史上最年少優勝という2つの栄冠は、その後の選手人生を狂わせる。一夜にして"競泳界のアイドル"となった彼女は、次でも結果を出して当然というプレッシャーから、スランプに陥ってしまう。
そんななかで迎えた96年のアトランタ五輪。決勝には進めずに10位に終わる。日本国民の熱い期待を裏切った形に終わったが、岩崎は動揺しなかった。それどころか、
「自分をきちんと持って、目標を立てて臨んだので、人間として成長できた大会でした」と振り返っている。

幸せの形はメダルだけではないことに気づいた10位だった。

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