2013年9月7日、ブエノスアイレスの地で2020年五輪開催地が東京に決定。スポーツには壁がある。それは記録であり、難しい技だ。それを乗り越えるため、選手たちは努力を重ね、ついに、それを果たす。その瞬間の感動秘話を紹介しよう!

心、技、体を磨き上げた女性たち 日本中が感動! スポーツ記録が生まれた瞬間 瞬間その3
安藤美姫・フィギュアスケート JGPファイナル02年12月15日


引退後も安藤美姫の周辺は、なにかと騒がしい。しかし、彼女が「4回転ジャンプを成功させた、ただ一人の女子選手」という勲章を持っていることは、忘れてはならない。

2002年12月12~15日、オランダで開かれたジュニアグランプリファイナルでのこと。前日のショートプログラムで5位と出遅れた安藤(当時14歳)は、2日目のフリー演技で起死回生を狙って4回転ジャンプに挑戦、見事に成功させる。国際スケート連盟の公式大会において、史上初の快挙だった。

ショートプログラムでの出遅れが響き、順位こそ3位という不本意な結果に終わったが、"4回転ジャンプ成功"という金字塔はキラキラと輝いた。
「女子でも、とうとう4回転を跳ぶ選手が出てくるようになったのかと、世界が驚きました。これで安藤の評価は一気に高まったんです」(スポーツ紙記者)

そもそも、男子でも難しいジャンプを、なぜ跳べるようになったのか。その裏には、彼女のスケートへの熱意があった。
安藤自身の述懐によれば、それは00年、夏の強化合宿中に、練習のしすぎで足を痛めてしまったことがきっかけだった。コーチに「しばらく滑っちゃダメ」と言われた彼女は、練習をしたい気持ちを抑え、代わりに腹筋や背筋を鍛え、プールで泳いだ。これにより、自然と跳躍に必要なバネがついたのだろう。スケート練習を再開したある日、3回転半(トリプルアクセル)の練習中、遊び半分で4回転ジャンプを試みると、すんなり跳べてしまったのだ。

驚きと喜びに震える安藤。しかし、試合では状況が異なる。
彼女は4回転の練習を繰り返し行い、公式戦で使えるレベルにまで持っていった。そして、ついに成功したのである。

この後、4回転は安藤の代名詞となる。06年のトリノ五輪でも期待されたが、前年末に痛めた足の指の骨折が完治していなかったこともあり、フリーで4回転に挑戦したものの、失敗。総合15位に終わり、4回転のリスクを思い知る結果となった。

その後、安藤のコーチとなったニコライ・モロゾフは4回転を封印。魅惑的な表現力を持つ大人のスケーターへ変身させ、彼女を立ち直らせた。
安藤が挑み続けた4回転ジャンプ。いまだに公式大会で成功させた女子選手は彼女のほかにはいないが、彼女を慕う新星・樋口新葉(わかば)(14歳)が挑戦したいと公言し、話題になっている。

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