レスラーとして現役を引退後も、その抜群の知名度とカリスマ性で、プロレスや格闘技会だけでなく、国会議員としても光を照らし続けるアントニオ猪木。
先日発売された「俺たちのプロレスvol.3(双葉社スーパームック)」では、アントニオ猪木と関係のあった11人のレスラーの証言を集め、「平成のアントニオ猪木」をテーマに、燃える闘魂のカリスマたる所以を特集した。
なぜ人々はアントニオ猪木に惹きつけられるのか。今回は、その中から一部を抜粋して紹介したい。

続いて第二回目は、引退カウントダウンのファーストマッチをグレート・ムタとしてつとめた武藤敬司。かつての新日本プロレスの格闘技路線に反発して離脱した、天才レスラーが見たアントニオ猪木とは?


「猪木さん自身が格闘技ファンなんだよ。強い者フェチなんだよ。」

PROFILE 武藤敬司(KEIJI MUTO)
1984年新日本プロレスに入門。数々のタイトルを獲得した後、いわゆる格闘技路線に背を向けるように2002年全日本プロレスに移籍。2013年には新団体WRESTLE-1を旗揚げ。現在も同王者として団体を牽引しつづけている。


──90年代に繁栄を誇った新日本のドームプロレスが崩れたのは、武藤さんの離脱と、猪木さんの格闘技路線だったのかな、とも思うんですけど。

武藤 いや、一番の原因は新興勢力の台頭だよ。新日本の命綱だったドーム大会を、PRIDEとK─1もやるようになったからさ。プラス、その新興勢力にテレビが付いたからな。その宣伝力は絶大でさ、「もうプロレスの時代ではない、新しい格闘技が世の中のファッションなんです」って言われたら、プロレスはどんどんどんどんダサくなっちまうよな。

──世の中の空気として。

武藤 うん。で、猪木さんはレスラーに格闘技をやらせようとしただろ? あれは猪木さん自身が格闘技ファンなんだよ。強い者フェチなんだよ。

──強い者フェチ(笑)。だから、自分の団体もそういうふうにしたい、と。

武藤 そうそう。で、新日本がそうならねえってなったら、今度は「PRIDEのアントニオ猪木」みたいになったからね。

──そして新日本プロレスの悪口を言って(笑)。

武藤 「新日本プロレスはウソで、PRIDEは本物」ぐらいのこと言ってたもんな。

──そりゃ、新日本もたまったもんじゃないですね(笑)。

武藤 でも、プロレスっていうのは、見た目以上にいろんな技術が必要で、誰でもできるもんじゃないんだよ。だから道場があって練習が必要で、試合だって年間に200試合以上やって、ようやく身に付くものなんだ。やっぱり俺自身、それに対して費やしてきた時間を否定するのが本当に嫌だったんだよね。ヒザを壊したりしながらでもやってきたわけで、なんのために壊したんだ。プロレスのためだろうっていうね。

──そのプロレスの練習っていうのは、80年代の猪木さんがフルタイムでいた時代と、90年代以降では内容は違いましたか?

武藤 道場はともかく、会場で試合前にやる練習が違いましたね。俺が若手の頃は、スパーリングみてえな練習がすげえ多かったです。6時半から試合なのに、6時くらいまでリングでスパーリングやってたからね。もうお客も入ってる中でさ。
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