2013年9月7日、ブエノスアイレスの地で2020年五輪開催地が東京に決定。スポーツには壁がある。それは記録であり、難しい技だ。それを乗り越えるため、選手たちは努力を重ね、ついに、それを果たす。その瞬間の感動秘話を紹介しよう!

心、技、体を磨き上げた女性たち 日本中が感動! スポーツ記録が生まれた瞬間 瞬間その5
上野由岐子・ソフトボール 北京五輪08年8月21日


06年、IOC総会でソフトボールが五輪競技から外されることが決まり、08年の北京がソフトボール最後の大会となった。
「04年のアテネで銅メダルに終わり、北京での金を切望する日本でしたが、アメリカという厚い壁が立ちはだかっていました。アメリカは、五輪3連覇中の強豪。北京でも金確実と言われていたんです」(スポーツ紙記者)

しかし、日本のエース・上野由岐子は、静かに闘志を燃やしていた。
22歳で参戦したアテネ五輪では史上初の完全試合を含めた3勝を挙げる。だが、ここ一番で勝利できず、金メダルを逃した悔しさが「北京で絶対、金を獲る」という高いモチベーションに昇華していたのだ。

上野はアテネ五輪の翌年、アメリカに短期留学する。ソフトボールの先進国で、周囲が驚くほど厳しく練習に打ち込み、投球術に磨きをかけた。
「人には負けてもいい。しかし自分の弱さには絶対負けたくない」
を座右の銘にする彼女にとって、北京五輪までの4年間は、自分を徹底的に鍛える期間だった。

その結果、世界最速119㎞の速球を手に入れる。それは、投手から打者までの距離が短いソフトボールでは、野球の167㎞に相当する豪速球である。
加えて、手元で縦に変化するライズボールやドロップなどの変化球も身につけ、上野は世界屈指の好投手に成長した。

そして、08年8月、「勝つためには何回でも登板する」という強い気持ちで北京五輪に臨む。
8月21日、アメリカとの決勝戦。先発のマウンドに上がったのは、前日の準決勝と3位決定戦の2試合で318球を一人で投げた上野だった。だが、彼女は疲労を感じさせない気迫の投球を続ける。すると、7回を完投して失点はわずかに1。日本は、大方の前評判を引っくり返し、3-1のスコアで宿敵・アメリカを撃破した。

優勝の瞬間、喜びを爆発させる選手たち。2日間で413球を投げ抜いた上野は、名投手・稲尾和久になぞらえて、「神様、仏様、上野様」と称えられた。

一方、アメリカにとって、この敗戦は衝撃的で、ロイター通信は「北京五輪最大の衝撃の一つ」と報じた。

王者を破り、ソフトボール初の金メダルを獲得した日本。その原動力となったのは、エースの熱い闘志と世界最速119㎞の豪速球だった。現在の世界最速記録は121㎞とされているが、それも上野が持っている。

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