事件発生から29分で出動待機

この報告を受けて警察も、オウムの犯行を強く疑うようになり、強制捜査の準備が着々と進められていった。警察庁担当記者が言う。
「さまざまな情報から、上九一色村に、サリンのプラント(精製工場)があると予測されました。これを受けて警察は、95年3月22日に同地を強制捜査することを決断したんです。ところが、警察内部に存在したとされるオウムの"S(スパイ)"によって、捜査情報が漏えいしてしまったんです」

スパイを通じて22日の強制捜査を知ったオウム教団が、これを阻止するために強行したのが、20日の地下鉄サリン事件だったのだ。
「当時の国松孝次警察庁長官も、同様の証言をしています。地下鉄サリン事件被害者の会の代表世話人との対話で、"警察は、オウム教が3月22日の強制捜査を予期して、なんらかのかく乱工作に出るという情報を事件の数日前に得ていた"と発言しているんです」(前出の警察庁担当記者)
国松長官は「ただし、情報に具体性がなかったため、予防措置を講じることは不可能だった」と続けているが、これは偽らざる本音だったのではないか。

「教団施設への強制捜査のかく乱を目的とした地下鉄サリン事件は、9.11米国同時多発テロと図式が似ています。9・11の数か月前、FBI(米連邦捜査局)のアルカイダ担当チームは、"米国中枢で航空機を用いたテロが発生する"ことを掴んでいました。情報は、キューバに設置された米軍のグアンタナモ収容所に拘束されたテロリストからもたらされたといいます。ただ、地下鉄サリン事件同様、具体的な情報に乏しかったため、これを未然に防ぐことが困難だったわけです」(軍事ライターの黒鉦英夫氏)

さらなる誤算は、オウム教団がテロにサリンという警察では対処不可能な化学兵器を用いたことだった。
「NBC兵器への対処が可能なのは、自衛隊のみです。とはいえ、想定される事態は、他国による侵略ではなかったため、自衛隊に防衛出動(有事に際しての自衛隊の軍事行動)を命じることは困難だったはずです。それならば、治安出動(警察の手に負えない事態に際しての自衛隊の出動)という手もあったんですが、当時はまだまだ自衛隊に対する理解が不足していた時代ですから、国民感情的にも、それは難しかったはずです」(自衛隊事情に詳しいライターの古是三春氏)

結果、"次善の策"として、自衛隊が訓練と装備提供の両面で警察を全面サポートすることになったという。
「陸自の化学学校のスタッフが、朝霞駐屯地(東京・練馬)で、警察官に化学兵器対処用の装備を用いて、危険を除去する訓練を行ったんです」(同)
とはいえ、これはあくまで上九一色村への強制捜査の準備であって、サリンの無差別テロに対する訓練ではなかった。警察当局も自衛隊も、まさか強制捜査の2日前に、地下鉄サリン事件が発生するとは、夢想だにしなかったはずだ。

しかし、はたして惨劇は起こった……。
「乗客がバタバタ昏倒していく中、真っ先にその対応に当たった駅職員や、消防・警察関係者は皆、猛毒のサリンが原因だとは考えなかったんです。そのため、二次被曝して命を落とした方もいらっしゃいます。現場では、東京消防庁の化学機動中隊の隊員が原因物質の特定を試みましたが、そもそも彼らが使用していた分析装置に、サリンを検出する能力はありませんでした」(前出の黒鉦氏)

混乱がピークに達し、現場が地獄と化す中、唯一「オウムによるサリン散布」を確信し、迅速に準備を行っていたのが自衛隊だった。
「事件発生からわずか29分後には、自衛隊中央病院(東京・世田谷区)に患者受け入れ準備の命令が発動されました。同時に、第101化学防護隊(現在の中央特殊武器防護隊、大宮駐屯地)および、第32普通科連隊(大宮駐屯地)の隊員に、出動待機命令が下されています」(黒鉦氏)

地上には救急車があふれ、路上で昏倒した被害者の治療が行われる中、警察庁から出動要請を受けた陸自の精鋭たちが、次々と現場に急行していった。自衛隊に精通したジャーナリストの井上和彦氏が言う。
「自衛隊以外に、地下での除染作業を完遂することはできませんでした。原因物質がサリンであると特定したのも、自衛隊です。当時は現在よりも、自衛隊に対する風当たりが強かった時代。彼らは理不尽な批判に晒されながらも、粛々と化学兵器に対する備えを行っていたんです」

猛毒サリンの除染作業は困難を極めたという。
「当時、現場で除染作業に当たった隊員は後日、こう言っていました。"色々な訓練の中で、一番現実味を感じなかったのが、NBC兵器への対処訓練です。それがまさか、現実の事態になるとは驚きでしたが、現場では訓練で学んだことを実直に行えばよかったので、動揺はありませんでした"。これが自衛隊の凄さなんですよ」(前出の古是氏)

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