[復刻大衆1985]「他人の女房は蜜の味」を知った元板前(41)が挑んだ一世一代の“亭主の活造り”の画像
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[復刻大衆]
1958年に創刊された「週刊大衆」のバックナンバーから、過去の記事をピックアップしてお届けする企画。今回は「週刊大衆」昭和60年2月11日号の記事をお届けします。


「他人の女房は蜜の味」を知った元板前(41)が挑んだ一世一代の“亭主の活造り”

お隣同士のお付き合いで、種々のトラブルを生じてしまうのは世の常だが、“お付き合い”が昂じてみだらな関係になってしまうと、これはもう最悪パターン。あとはもうバラバラにこわすのみ!!

新興住宅地における隣人関係の希薄さがいわれて久しいが、

「苦にもなりうるのだ
悪くかたられたのは
心がけとはいえ
一つは、不幸なその人間の運
といえよう」

と、なんとも奇妙奇天烈な文章を、毛筆で部屋の襖に書き綴っていた隣人の男と、親密な家族ぐるみの付き合いを始めたのが、今回の惨劇の発端となったのである。

事件が発覚したのは、正月の門松がとれて間もない、1月10日の午前10時20分頃のこと。神奈川県厚木市猿ヶ島の相模川の堤に、手足、首のない胴体が浮んでいるのをジョギング中の男性が発見。厚木署に通報したのである。
殺されたのは、川崎市宮前区有馬5丁目、ハイツセドに住むトラックの運転手Oさん(42)。翌朝、バラバラ殺人の犯人として逮捕されたのは、前科ニ犯でOさんの隣に一人で住み、Oさんの妻M(40)と親密な関係にあったタクシー運転手S(41)だった。

Sの供述によると、
「Mさんに、夫は酒びたりの毎日で給料も入れていない、と再三ぐちを聞かされたため、これはもう死んでもらうしかないと思って殺害した」(厚木警察署)
という。

Mも任意で事情聴取を受けていたが、最初は、
「Sさんと夫が口論していたようだけど、私はふとんを被ぶっていた」
といっていた。だが、証言内容に不審な点があるため、警察も追及の手をゆるめず、
「バラバラにした遺体を相模川に運ぶタクシーに乗っていた」
と、ついに供述したのが十四日。
死体遺棄の疑いで逮捕されたのである。

殺害現場となった有馬5丁目も、この降って湧いた猟奇事件に騒然となった。
犯人のSがこのアパートに入居したのは昭和55年。その1年後にOさん夫妻が引っ越して来たのだ。Mの明るくカラッとした性格も手伝って、急速に家族ぐるみの付き合いに発展。
当時をよく知る近隣の主婦の話によると、
「一緒に食事をしたり、お酒を飲んだり、ひどく楽しげでしたよ。Oさんの子供(中学生と小学生の一男一女〉も、よくなついていましたし、Sも可愛がっていたしね」
それが、被害者のOさんがアルコール中毒症で入院した時点で親密な男女の関係に―― 。

アパートのある住人は、
「いつかはこんなことになるだろうと思ってましたよ」
と、意味ありげに次のように話す。

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