子どもの頃にヤンチャな友達と秘密基地を作った経験がある御仁なら、「隠れ家」や「廃墟」と聞くと、つい心が躍るはず。ところが、今年に入りアルゼンチンの人里離れた自然保護区で見つかった廃墟は、少しばかり事情が違ったようだ。

アルゼンチン北東部・ミシオネス州のテユ・クレア公園で発見されたのは、高さ3mの塀が張り巡らされた、ナチス・ドイツの隠れ家。ブエノスアイレス大学考古学センターの研究者グループの調査により、発見された。第2次世界大戦後、敗戦したナチス・ドイツ親衛隊でホロコーストの設計者、アドルフ・アイヒマンやエーリヒ・プリーブケはアルゼンチンに逃亡したが、この廃墟にはヒトラーの側近として知られるマルティン・ボルマンが潜伏していたと近隣住民の間で噂だったという。

きっかけは、チームリーダーのダニエル・シャベルゾン氏が廃墟付近で、第2次世界大戦時代に鋳造されたドイツ硬貨を発見したこと。調査の結果、全部で3つの建造物の存在が判明し、ドイツの陶磁器として有名なマイセンも見つかったことから、ナチス・ドイツの隠れ家として断定された。廃墟は非常にアクセスが厳しい場所にあり、隠れ家として呼ぶのにふさわしいという。

しかしながら気になるのは、ナチス・ドイツの残党が、なぜアルゼンチンに逃げることができたのかということ。戦後の国際世論からすると、残党が逃げてくるのをスルーしていたというのは、どうも腑に落ちない。
その答えは、当時のアルゼンチン政権にある。大戦中のエデルミロ・ファーレル大統領は親ナチで、軍人出身のフアン・ペロン副大統領はファシズムに傾倒していたという人物。ドイツが降伏した翌年にペロンは大統領になったが、ますます親ナチぶりは深まるばかりだったそうだ。ならば、ナチス・ドイツの戦犯たちの逃走を手助けし、保護するのはわからなくもない。アルゼンチンは彼らにとって、格好の避難所だったというわけだ。

ただしフタを開けると、この廃墟が実際に使われた形跡はなかったという。なんとナチス・ドイツの逃走者はアルゼンチン都市部で自由に生活できていて、隠れる必要はなかったとか。おまけに、ボルマンの遺骨は1998年にベルリンで発見されており、シャベルゾン氏も、ここにはいたことを否定している。
ちなみに「リカルド・クレメント」という偽名を使いブエノスアイレスで過ごしていたアイヒマンはモサドに発見され、1962年にはイスラエルで絞首刑に処せられた。

戦後から今年で70年。「もう終わったこと」「まだ傷は癒えていない」など様々な声があるが、今後の調査次第では、大戦後の騒乱期について、新たな発見があるかもしれない。

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