わからないを知る『人間力』五木寛之(作家)の画像
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「明日は明日の風が吹く。刹那的な生き方だ。僕はそうやって一日一日を積み重ねて今日まで来た」

運を招くことなんてできないし、また、こうすると不運になるとも信じていません。数学の上でもそうですが、偶然というものが、あるんじゃないのかな。

私は、敗戦を朝鮮半島の平壌で迎え、敗戦のあと、中学生の時にそこを追われた。その体験が後の物の考え方、人生観や国家観に決定的に影響を与えました。そう、明日は、どうなるかわからないと(笑)。

戦後70年ですが、この国も70歳だと思っているんですよね。日本という国家は1886年の明治維新から、80年ぐらい生きて初老に差し掛かっているにもかかわらず、無理な戦争をしてダウンしたんです。戦後、オギャーと生まれ直して今70歳。無限の成長なんて、幻想でしかない。それは、自分の年齢を考えるとよくわかるんです。

つまり日本は、人口が高齢化するだけじゃなくて、国も高齢化していく。今こそ良き下山を求めてというのが僕のテーマなんだけど、叱られるんだよね。夢のないことを言うって(笑)。しかし、下山のない登山はないんですからね。
登る時は頂上しか見てないから必死で登ります。だから、何も考える余裕ない。だけど、下山の時は行く末も考えられるし素質、環境、あとは運、この3つが、人間の一生を左右する。自分で、遠くの海も見えるし、高山植物も咲いているし、それはもう、豊かな下山は楽しいものです。だから若い人も、真に不運ではあるけど、自分も70歳であることを認識し、それを考えなきゃいけない。なのに、いつまでも青年であり続けようとするっていうのは無理なんです。

要するに、現代は危機的状況の中にいるのではなく、漠然たる不安の中にいるのでしょう。
そんな世の中で、自分なりの楽しみを見つけていくわけです。僕の場合、養生、体を観察するのが面白いと思った。そこで、歩き方を研究する。明治時代までは、日本ではなんば歩きといい、左右の足と手を一緒に出して歩いていたんですよ。体を捻り左右を逆にする西洋式の歩き方は、明治の軍隊が採用したんですね。でも、何百段もある階段を上り下りするのは古風ななんば歩きがいい。

次に呼吸法。ブッダはね、アーナパーナサティ・スートラという呼吸に関する教えというか、お経がありますね。仏教では呼吸法が大きな意味を持っています。道元も白隠も善神も、現代に至るまで宗教っていうのは、呼吸法ととても深くつながっていますから、これもまた面白い。

人間も80にもなると、大体8つほどの持病が出ると言われています。僕は元々、体が弱かったんですが、一切病院に行かないっていう目標を立て、自分の体は自分で診ると決めたんです。戦後、一回だけレントゲンを撮ったけど、それ以外被爆経験はありませんし、歯医者以外で医者にかかったことはないです。

そんな日々を僕は積み重ねてきました。親鸞が、人間は場合によっては、人殺しもするかもしれないと言っている。その時の状況次第で、例えば、アウシュビッツの看守になれば、人殺しになる可能性は誰しもが秘めている。そんな風にはっきりしないものなんです。
その人間が日々を積み重ねて作っていく歴史っていうのも、不確定なんですよね。歴史は常に今までの例っていうのを破って動いていく。かつて、こうだったから、こうなるとは限らない。だから、未来は未定という覚悟で生きていくしかない。

明日は明日の風が吹くとね。刹那的な生き方だ。僕はそうやって一日一日を積み重ねて今日まで来た。
ですから、日刊ゲンダイで足かけ40年続けている連載『流されゆく日々』も、原稿をストックしたことはないんです。夜12時の締切に間に合うよう、毎日、前日の夜に書いています。

明日がわからないのだから、とにかくその日、その日を積み重ねていく。この気持ちで豊かな下山をしていければなと思っているのですが。

撮影/弦巻 勝


五木寛之 いつき・ひろゆき

1932年9月30日、福岡県生まれ。早稲田大学第一文学部露文科中退。その後、作詞家として活躍しつつ、1966年、モスクワで出会ったジャズ好きの少年を題材にした『さらばモスクワ愚連隊』で、第6回小説現代新人賞を受賞。翌年、ソ連の作家の出版を巡る陰謀劇『蒼ざめた馬を見よ』で、第56回直木賞を受賞。代表作の『青春の門』を始め多数の人気作品がある。また、音楽業界への造詣も深く、当時下火だった演歌を題材に書いた『涙の河をふり返れ』は、後の藤圭子の販売戦略に使われた。12年には、『親鸞 激闘編』(上下巻・講談社刊)を上梓し、極上の知性を発揮した。

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