フランシスコ・ザビエルをはじめとするイエズス会(ポルトガル)の宣教師が来日するのは戦国時代です。
彼らはまず、権力者にアプローチしました。大名と面会して布教の許可を求め、その見返りとして南蛮貿易の仲介や武器・弾薬の援助を申し出ています。大名にとって、これは魅力的な提案だったのでしょう。宣教師の歓心を買い、より多くの利益を得ようと積極的に洗礼を受ける大名もいて、布教は順調に進みました。風向きが変わるのは1587年。豊臣秀吉がバテレン追放令を出してからです。

それまで布教を認めていた秀吉の態度が変わったのは以下のような理由から。キリシタンが他の宗教を邪教とみなし、神社仏閣を打ち壊した。ポルトガルが日本人を奴隷として外国に売っていた。さらに、キリシタン大名がイエズス会に領地を差し出し、九州の一部が外国領になっていた。こうした事実に激怒し、キリシタンを危険視するようになったからだといわれています。

さて、短期間のこととはいえ、外国の領土とされていた場所とは?

(1)福岡
(2)長崎
(3)佐賀


答え :(2)

出題:浜川卓也

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