事実であるかないかよりも、自国の“主張”と適合するかを重んじる、あの国。そこでは真っ赤な嘘が語られていた!!

韓国が、またまた、わが国に横車を押してきた。
「これまで桜の起源は韓国とか、寿司はもともと韓国が発祥の地だとか、荒唐無稽な"ウリジナル論"で日本人の心情を逆撫でしてきた韓国ですが、なんと、今度は古代史を捻じ曲げて日本批判を展開してきたんです」(在ソウル通信社記者)

日本に対し耳を疑う"物言い"がついたきっかけは、先日、日本の文化庁が朝鮮半島由来の文化財について「任那(みまな)時代」とウェブサイトで表記したことだった。
さらに、今月6日に検定を通過した日本の中学校教科書に「任那日本府」という記載があったため、韓国政府がブチ切れたのだ。

韓国側がその存在を頑なに否定する"任那"とは、4~6世紀に朝鮮半島南部で勢力を誇っていた日本の大和朝廷の勢力圏のこと。日本書紀や中国の吉林省で発見された広開土王(「好太王」とも。朝鮮半島を治めた「高句麗(こうくり)」の第19代王)の碑文にも、その存在が記載された"歴史的事実"である。
「ところが、韓国では"任那は日本による植民地支配を連想させる"とか"旧日本軍が碑文を改竄した"との批判があるんです」(朝鮮近代史が専門の研究者)

しかしながら、旧日本軍による改竄説は、2006年に韓国の"親分"である中国の社会科学院の研究者によって一掃されている。

ただ、そんなことはかの国にはお構いなし。9日には、李完九(イワング)首相が「(日本は)事実を歪曲してはならない」と会見を行っている。
"歴史"には、各民族に固有の解釈があって当然だろう。それはコインの表裏であり、表からも裏からも眺めることができるからだ。ただ、客観的事実を隠したり、あまつさえ、他の国の歴史にイチャモンをつけるなど下衆の極みではないか。
「完全な"内政干渉"ですよ。わが国が韓国の歴史教科書について、いちいち口を挟みますか? それができるなら、こちらとしても言いたいことが山ほどありますよ」(外務省関係者)

それならば、本誌がひと肌脱ぎましょう――ということで、以下、韓国の歴史教科書にある"トンデモ記述"を紹介してみたい。

まずは、鎌倉時代に大陸からわが国に押し寄せた中韓連合軍――2度にわたる「元寇」(文永の役=1274年、弘安の役= 81年)だ。これは日本では「蒙古襲来」とも言われ、元と高麗(韓国)連合軍による日本侵攻なのだが――。
「韓国の教科書には"元に強要されて仕方なく日本に遠征した"と、そっけないほど簡単に記されています」(前出の研究者)

ただし、李氏朝鮮が14 51年に編纂した『高麗史』には、〈元寇の発端は、高麗の忠烈王が元の世祖に働きかけて東征(日本侵攻)を執拗に勧めたことにある〉と明記されており、教科書記述は真っ赤な嘘である。
その一方で、韓国が鬼の首を取ったかの如く"侵略国家日本"の根拠としているのが、豊臣秀吉による朝鮮出兵(韓国での呼称は「壬辰倭乱」。1592年、97年の2度行われた)。
「韓国の教科書では、この朝鮮出兵を"20万人あまりの軍隊を出兵させてわが国を侵略。暴虐の限りを尽くした"として、詳しく記載しています」(同)

元寇で、高麗が元を誘って日本に攻め込んだことは"遠征"。秀吉の出兵は"侵略"……。
いかに歴史が、ある程度は自民族の都合のよい解釈を加えたうえで解釈されるものだとはいえ、これはあんまりではないだろうか。

アメリカの名門校であるスタンフォード大学の名誉教授と、同大アジア太平洋研究センターの副所長は、2010年に以下のような見解を示している。
「一番公正な歴史教科書は日本のもの。韓国の教科書はナショナル・アイデンティティの形成に躍起で、自己中心的なもの」

そんなご都合主義で塗り固められた記述の象徴が、室町時代から江戸時代にかけて李氏朝鮮より日本へ派遣された外交使節団「朝鮮通信使」に関する部分だ。
韓国教科書は、〈通信使は日本の要請を受けて日本に渡り、手厚い待遇を受け、日本の文化発展に貢献した。彼らが訪れた後には、日本国内に朝鮮の文化と風俗が広まるほどであった〉と、当時の李氏朝鮮が"先進国"であったことを強調する。
「韓国の歴史教科書には、"日本に○○を伝えてあげた"の記述が、そこかしこにあります。その背景にあるのは、"優れた文化や技術を後進国の日本に教えてあげた"という"恩着せ史観"です」(前出の研究者)

時事通信社のソウル特派員を務めたベストセラー『悪韓論』の筆者、室谷克実(むろたにかつみ)氏が言う。
「歴史的事実を完全に無視しています。たとえば、第1回朝鮮通信使(1429年)の報告が載っている『朝鮮王朝実録』には、通信使たちが日本の優れた技術に驚嘆している様が、微細に描かれています」

特に朝鮮通信使が感嘆したのは、揚水水車の技術だったという。通常、水車といえば足踏み式。ところが当時の日本では、流れる水を動力源として、水を自動的にくみ上げるタイプの水車(これを揚水水車という)を完成させていた。
「帰国後、通信使は作り方を学ばせ、国王には模型まで提出し、揚水水車の導入を進言していますが、最後まで作ることはできませんでした」(同)

何のことはない、事実は"真逆"だったのだ。

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