今も昔も芸能界は競争社会。過去にも選ばれし者だけが座れる限られた椅子を巡り、幾多の激しいバトルが繰り広げられてきた。

実力派女優として名演技を見せる大竹しのぶ(57)と、現在、NHK連続テレビ小説『まれ』で主人公の祖母役を演じる田中裕子(59)。そんな大女優2人が、かつては芸能界屈指のバチバチ関係だったという。

デビューは2歳年下の大竹が先。高校生のときにテレビドラマ『ボクは女学生』のヒロイン役の一般公募に合格。その後、NHK連続テレビ小説『水色の時』(75年)に主演して注目を集めた。

一方、田中は大学の演劇科を卒業後、すぐに文芸座で輝きを放ち始めた。大竹と同じくNHKのテレビ小説『マー姉ちゃん』(79年)で、主役の妹役でデビューする。
「ここで主役の熊谷真実を食って、田中は一気に名を上げました。ともに連ドラでブレイクしただけに比較された2人ですが、文芸座という、役者として正統派の経験を積んできた田中は、ぽっと出の大竹と比べられることを嫌がった。あと、2人とも役が乗り移るタイプの女優だけに、よけい意識があったんでしょうね」(スポーツ紙芸能デスク)

田中は83年、視聴率60%越えの『おしん』で主演を務める。
小林綾子の子役時代を引き継いだ演技で、国民的女優の地位を一気に獲得し、大竹に大きく差をつけた。

だが、私生活で躓く。89年、沢田研二との結婚が「略奪婚」と大スキャンダルになり、女優業も開店休業状態になる。
大竹は82年、TBSディレクターと結婚。夫と死別するものの、88年に明石家さんまと再婚。のちに離婚したが、93年、今度は演出家の野田秀樹と事実婚をするなど、私生活もドラマのように華麗だった。

「大竹さんは、結婚は自分の経歴アップだと自ら話していますよ。初婚でドラマ女優になり、再婚でトークを学び、三度目には舞台女優になりました。彼女ほど明確な生き方の女優は他にいないでしょう。それに比べて田中さんの結婚はイメージが悪かったですね」(芸能レポーターの城下尊之氏)

アイドルの世界で最も有名な「不仲な2人」といえば、ぶりっ子キャラを極めた松田聖子(53)と、歌姫と称された中森明菜(49)。
80年代には毎週のように歌番組で顔を合わせ、聖子は25曲がオリコン1位、明菜は21曲が1位と、ともに天下を獲った。
「スタジオスタンバイのときでも、ひな壇の両端に座って、目も合わさなかった。当時は歌番組の常連アイドルたちはクラスメイトのように仲良くなったものですが、あの2人は立ち話すらしたことがなかったと思います。特に明菜は他のアイドルのようにキャピキャピしたところがなく、危うい繊細さが漂っていました」(当時の番組スタッフ)

性格も正反対で、アルコールが飲めず、甘いものを好んだ聖子に対し、明菜は酔いを増すためか、タバスコを大量に入れた酒ほど何杯も飲んだ。
「聖子には音程を外しそうなハラハラ感があったけど、そのわりに発音が明瞭でアイドル歌手なりの安心感がありましたね。明菜は歌姫としては勝りましたが、歌詞が複雑で聞き取れないこともありました。Jポップ志向のファンは、明菜を支持していましたが、音楽性が明らかに違っていました」(前出の城下氏)

アイドルに徹した聖子と、シンガーとしての自我が強かった明菜。価値観の違う2人のアイドルがいたからこそ、80年代の芸能界は多くの人を引きつけたのだろう。

ともにキャンギャル出身で、00年代を代表する女優だった松嶋菜々子(41)と藤原紀香(43)の間にも火花が。
「実はこの2人、ドラマや映画で共演したことがないんです。なんとも不思議ですが、どちらも主演じゃないと仕事を受けなかったためです。お互い意識していたんですが、途中からは視聴率という点で松嶋に軍配が上がった。ただ、バツグンのプロポーションで世の男たちの圧倒的な支持を得て、同時にCM女王として君臨した紀香からすれば、ドラマのヒットはなくても、自分のほうが上という気持ちがあったんでしょうね」(大手プロダクション関係者)

ライバルがいるからこそ生まれる切磋琢磨。「不仲」と噂される相手がいるのは、実は幸せなことなのかもしれない。

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