陸上監督・原晋「一度、陸上界から追放されました」~駅伝に人生をかける人間力の画像
陸上監督・原晋「一度、陸上界から追放されました」~駅伝に人生をかける人間力の画像

「私は、実業団時代に選手として、存在価値を認めてもらえなかった。その悔しさをバネに、原という男に仕事をさせたら、ちゃんとやると証明したかった」

大学の陸上部の監督で「ワクワク大作戦」とか「ダメよダメよ作戦」みたいなふざけたように聞こえるスローガンを掲げたのは、私だけだと思いますよ。そもそも、私みたいな浮き沈みの激しい人生を送ってきた人間が、この業界にいること自体が珍しいですから(笑)。

私は、現役時代に華々しい結果を残し、引退後指導者に、なんてことはなく、一度、陸上界から追放されて、サラリーマン生活を送っていましたからね。いわば、業界の異端児。でも、「俺はやったるぞ」との心意気だけは失わずにやってきました。
ですから、部下の管理もできない、上に対しても物を申せないクソ管理職の元、頑張っておられるだろう週刊大衆の読者のような方の熱き応援団になりたいんです。私は、実業団時代に選手として、存在価値を認めてもらえなかった。その悔しさをバネに、原という男に仕事をさせたら、ちゃんとやると証明したかった。それが、たまたま青学の監督だった。

マラソンとの出会いは子どもの頃でした。そして、中学、高校、大学とそこそこの成績を残し、陸上部を創立したばかりの中国電力に入社。しかし、怪我の影響もあり、5年目で陸上部をクビ。私をクビにしたのは、駅伝選手として輝かしい戦歴を残されて、中国電力陸上部の監督に就任した坂口泰さんでした。当時は腹も立ちましたが、指導者となり、坂口さんの立場が理解できるようになり、今では、尊敬する先輩として親しくつきあってもらっています。

陸上部をクビになったら、会社の仕事を何もできない新人となりました。そりゃあ、荒れましたね。そんな頃、私をサポートしてくれたのが今の家内でした。もう、家では愚痴ばかりでしたけどね(笑)。その後も内助の功というやつで、叱咤激励してくれています。家内なくして今の僕はありません。

家内のお陰で、腐っていても仕方ないと悟り、必死で一から営業の仕事を覚えましたよ。新組織の立ち上げにも参加し、尊敬する先輩たちと一緒に新事業を軌道に乗せることもできました。その後、たまたま仕事で高校時代の後輩と再会。彼は高校卒業後、青学で陸上をやり、その後、地元で就職していたんですが、そんな後輩から青学の監督の話をもらったんです。20数年箱根駅伝から遠ざかっている青学を復活させてくれと。

正直、サラリーマン生活も楽しくなっていたし、大学側から提示されたのは、3年契約。結果が残せなければ、お払い箱。かなり悩みました。ただ、会社で新組織を立ち上げた経験からも、組織をまとめて、目的を成し遂げることには、自信があったんです。だから、覚悟を決めて引き受けることにしました。

組織作りのプロセスは、陸上界でもビジネス界でも同じです。ただ、キーとなる部分が違うだけ。駅伝でのキーは、規則正しい生活です。

しかし、青学には、自由な校風というのがあって、僕の決めた門限を巡り、強い抵抗があったんです。でも、私はゆずりませんでした。信念を曲げず、一本道です。周囲の反対を押し切り、寮の門限を10時にして、選手たちに規則正しい生活を送らせていたんですが、3年目では結果がでませんでした。結果がでない以上、当然クビの可能性もありました。ただ、私の中には、あと数年あれば、確実に箱根駅伝に出られるとの確信はありました。もちろん不安もありましたが、その不安は、私の信じていることを大学側に信じて、あと3年という時間をもらえるかというものでした。結果、契約は継続され、5年目で箱根駅伝出場。11年目の今年、青学史上初となる箱根駅伝総合優勝を果たすことができました。

今、思うことは箱根駅伝の出場資格を関東の大学だけに留めておくのはもったいないということ。陸上界の発展のためには、枠を全国にすべき。知名度の高い箱根駅伝に全国の大学から出場できれば、全国の中学、高校から才能ある選手が集まり、全体の競技人口の増加が見込める。競技人口が増えれば、日本の競技力のアップにもつながります。

そんなように、物が言える立場になるためにも、駅伝で勝利を積み重ねていきたいですね。

撮影/弦巻 勝


原晋 はら・すすむ

1967年3月8日、広島県生まれ。中京大学卒業。在学時、日本インカレ5000メートル3位。中国電力に入社、陸上部に所属し、全日本実業団駅伝初出場に貢献するが、怪我もあり退部。その後、サラリーマンとして再出発し、最下部組織のサービスセンターも経験するが、成果を上げ表彰され、新組織立ち上げに参加。華々しい成果をあげるものの満足できず、青山学院大学の陸上部の監督に就任。契約期間は3年と厳しいものだったが、33年間遠ざかっていた箱根駅伝出場を勝ち取った。本年の大会で総合優勝し、一躍、時の人となる。

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