「もし、あのとき~だったとしたら……」。いわゆる「歴史のif」。
そのなかで今でもワクワクするのは「もし船木誠勝があのとき新日本プロレスに残っていたら」という想像である。

それほど船木は期待されていた。中学卒業と同時に新日本プロレス入り。「もし人生が二回あるなら、お母さんの言う通りに高校へ行くけど、一回しかないんだから自分の自由にさせてください!」 。

この言葉で母親を説得してプロレス界に入った船木。考えてみれば本人も最初から「もし~だったとしたら……」という選択を意識していたことになる。

もし船木が海外遠征に出たあとUWFに移籍せず、あのまま二十歳で新日本に凱旋していたらプロレス界はどうなっていただろうか。

ジャッキー・チェンと東京ドームで試合をして(猪木が船木を残留させるために提案したカードだった)、一気に注目を集めたはずだ。新日本プロレスには若くて強くてかっこいいスターが一夜にして現れた。
そのあと船木という絶対的なエースを擁した新日本プロレスには複数スター制度も生まれなかった。もしかしたら闘魂三銃士の時代も来なかったかもしれない。

しかし船木は多くの道を歩んだ。

そして先日。6月30日の契約満了をもってW-1からの退団を発表。「勝負するなら50歳まで。もう一回、フリーになって勝負したい」。またしてもその選択が注目されている時の人である。
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