――UWF勢との確執は、当時起きたいくつかの不穏試合でも表面化します。例えば、前田・アンドレ戦の印象は?

越中 あまり印象がないんだよな。あの時は、たしかに同じ会場にいたと思うんだけど、オレは試合を見てないんだよね。たぶん、それより前の試合だったから、もう帰り支度してたと思う。新日本は、自分の試合が終わったら、さっさとシャワー浴びて帰りなさいっていうシステムだったんだよ。全日本は先に帰るなんて絶対に御法度で、馬場さんの試合が終わるまでは、先にシャワーも浴びちゃいけない。流血しても、汗が冷えても、まずは馬場さんからというシステムだったけどね。

――前田さんが長州さんを蹴撃した試合は?

越中 それも、あまり印象にない。まぁ、個人的には、顔面にキックが入る試合なんて、当時はたくさんあったから。オレも顔面でキックなんていくらでも受けてたよ。この時の、前田さんと長州さんの間にどういう感情があったのかはわからないけどね。あれだけ選手がいれば、気に入らないヤツは絶対出てくるから。

――UWFが再び離脱することになり、新日本は「暴動の季節」に突入していきます。たけしプロレス軍団(TPG)が殴り込んできた両国の暴動事件はどういう印象ですか?

越中 あのころは、お客さんが殺気立ってたよね。TPGの時は、お客さんがモノを投げて、2リットルのペットボトルも中身が入ったまま飛びかってるんだよ。これはホントに危ないって思ったんで、オレはセコンドについてる若手たちに「今日はリングの中じゃなくて、外向いて客を見張ってろ」って指示したのを覚えてる。

――冷静な判断ですね。

越中 客が殺気だってモノ投げるなんてのは、オレはメキシコで何度も経験してるからね。当時のお客さんは熱かったと思うよ。暴動起こすぐらい怒っても、また、見にきてくれるんだよね。今、あんな興行やったら、もう次から誰も来てくれないよな。

――この後に、越中さんが展開した誠心会館との抗争や、反選手会同盟、そして、平成維震軍の闘いも、熱いファンに支持されて大きなムーブメントとなっていきました。特に、プロレス界が対抗戦の時代になっていくと、平成維震軍は新日本プロレスの先兵隊のような存在でした。

越中 WARもUインターも、最初に乗り込んでいくのは、いつもオレたちだったよね(笑)。でも、天龍さんと、また試合できるとは思ってなかったし、高田( 延彦)もそう。自分でこうしようと思って動いたわけじゃないんだけど、結果的に、かつての恩人やライバルと同じリングに立つことができて、胸に迫るものがあったよね。

※取材全文から一部分のみ抜粋、全編は「逆説のプロレス」本誌でお楽しみください。

取材◎大谷弦

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「新シリーズ 逆説のプロレス」(双葉社スーパームック)より引用

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