―新日とUインターと言えば、看板外人だったベイダーの引き抜き(93年)もありました。
永島 いや、俺は全然気にしてなかった。ベイダーは色々問題あったし。
鈴木 新日本と切れてると聞いてたからね。宮戸が取りに行ったの。
安生 でも、実際(英語で)交渉するのは俺だっていう。
永島 ベイダー、どうだった?
安生 もう、かなりこれ(鼻を高くするポーズ)でしたねえ。「日本じゃ、俺はビッグスターだ」と。
永島 ファイトマネー、高かったろ?
安生 高かったですねえ。ただ、2000年代に入っての総合格闘技選手の「1試合何千万」とか、そういうレベルではなかったです。総合の選手上げても切符は売れないけど、ベイダーなら売れますから、元は取れましたよ。2~3年は続きましたからね。
―Uインター側からは、1億円トーナメントへの参加呼びかけもありましたね(94年2月)。
永島 覚えてるよ。「突然、何やってんだコイツら」って感じだった。
安生 そうっすよねえ、俺も内心、そう思ってました(笑)。いや、もともと、ウチの営業の若手から出たアイデアだったんですよ。それを宮戸さんが拡充したというか。
鈴木 ただ、俺はもともとは文房具の営業マンだからね。営業は飛び込みが基本ですから! 永島さんはどんな時も、ちゃんと聞く耳は持ってくれてたよ。そこが、今の新日本との違いだね。
永島 うん、確かに。
鈴木 そういえば、去年の夏、ビル・ロビンソンの追悼大会やりたいって、桜庭を貸してもらえるよう、安ちゃんと一緒に新日本に行ったら、「契約があるから駄目です」で終わりだったからね。
安生 ビル・ロビンソンというと、宮戸さんっていうイメージがあったから断ったのかもしれないですけどね。僕の引退試合には、桜庭は自分から新日本に電話して来場してくれましたからね。「新日本さんに話、通したの?」「はい、大丈夫です」って。
※取材全文から一部分のみ抜粋、全編は「逆説のプロレス」本誌でお楽しみください。
取材◎瑞佐富郎
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「新シリーズ 逆説のプロレス」(双葉社スーパームック)より引用