芸能界入りに大反対だった父
――印象に残っているエピソードはありますか?
文音 小学生6年生のとき、バレエの発表会の演目に出ましたが、最後に決めなきゃいけないところで、足がふらついて、失敗しちゃったんです。すごく落ち込んで帰ったら、寝室に2メートルぐらいの巻き物が置いてあったんです。
――小学生に巻き物!?
文音 そこに父の怒りの言葉がブワ~って並べられていました。"人様からお金をいただいてやるプロフェッショナルの仕事というのは、そんな中途半端なものではいけない""あのとき、おまえがもらった拍手は同情の拍手であって、喝采の拍手じゃない"って。
――今ならその言葉に隠された愛情がわかると思いますが、当時はショックだったでしょうね。
文音 はい、かなり傷つきましたし、すごく悔しかったです。でも、その悔しさがあったから、次の年の『くるみ割り人形』のオーディションでは、子供の中の主役を取ることができました。その報告を父にすると、すごく喜んでくれて、"俺が書いた言葉は「悔しさを力にしろ」っていうメッセージだったから、意味があっただろう"って。すごく納得しましたね。
――長渕さんは文音さんの芸能界入りには賛成だったんですか。
文音 大反対でした。
――ええっ、大反対!
文音 たぶん、芸能界の表も裏も見てきたうえでの考えだったんだと思います。いいところも悪いところも、全部知っているわけですからね。
――でも、文音さんは芸能界に行きたかった、と。
文音 芸能界というより、お芝居をやりたい、女優になりたい気持ちが強かったです。だから、その夢を突き詰めるためにも、デビュー後に約2年間休んで、ニューヨークの演劇学校に留学しました。本場で学びたい気持ちが抑えられなくて、アメリカに行きました。
――やるならば徹底的に……長渕イズムですね!
文音 今は、父もすごく応援してくれています。
――長渕さんはご自身の曲『NEVER CHANGE』(1988年)で、長女・文音さん誕生の喜びを歌っています。文音さんの泣き声も収録されているそうですね。
文音 シングルのほうですね。自分が生まれたときのことを作品として残してくれるというのは、やっぱり、すごくありがたいです。普通、そんなことってないですから。
――文音さんにとって、お母さまの志穂美さんはどんな存在ですか。
文音 うーん、海のような心の広さを持った女性……ですかね。
――素晴らしいたとえ!
文音 アハハハ。やっぱり、常に家庭を一番先に考えてくれていますから。父のサポートをしつつ、広い目をもって家族を守っているのが、母です。
――表現者である長渕さんは、いつも戦っているわけですからね。
文音 そうですね、仕事でも夢でも。そこに母のサポートがあるからこそ、長渕剛という人間が立っていられるんだと思います。母のような女性になりたいなとは思いますが、やっぱり女としても超えられないなって。すごい人です。私自身、これまでの生活で寂しいと思ったことはないんです。家に帰ったら、常に"お帰り"と迎えてくれる母がいました。
――いいご家庭ですね~。文音さんも早く結婚したくなりません?
文音 それが、全然ならないんですよ(笑)。いつかは結婚して子供が欲しいなと思いますけど……。今は女優としてちゃんと自分を確立しないといけない時期。まだまだ頑張らないといけませんから。
――今後、どんな役を演じてみたいですか。
文音 よく聞かれますが、ないんですよ。ない……と言ったらヘンですが、オファーされたら、どんなジャンルでも役でも演じてみたいです。"文音だからできたよね、この役は"と言われる女優を目指したいですね。
言葉の一つひとつに、女優への熱い思いが感じられた文音さん。今後も本誌は、応援し続けます!
「ズバリ本音で美女トーク」最新記事