追悼 元大関・貴ノ浪~多くの人に愛された「知られざる素顔」の画像
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その悲報が届いたのは、梅雨空が広がる6月20日のことだった――。

元大関・貴ノ浪の現・音羽山親方が急性心不全のため、大阪市内のホテルで息を引き取った。まだ、43歳という若さだった。
「22日に名古屋市内の斎場で営まれた告別式には、約300人の関係者が参列。早すぎる死を悼みました。遠藤などの若手力士も参列し、"いろいろと声をかけていただきました"と声を詰まらせていました」(スポーツ紙記者)

幕内優勝が2回の音羽山親方は、196センチの恵まれた体格を活かした豪快な取り組みで人気を博し、若乃花、貴乃花、曙らとともに、平成の大相撲ブームを牽引してきた実力者。引退後は貴乃花部屋付きの親方となり、後進の指導に当たっていた。
「同部屋出身の貴乃花親方は、音羽山親方と15歳の頃から切磋琢磨した仲なだけに、"思いもよらぬ出来事でした"と沈痛な面持ちで語り、ショックを隠しきれない様子でした」(同記者)

1週間前には、名古屋にある自宅周辺でランニングをしたり、知人と食事を楽しんだりしていたという。いつもと変わらない元気な様子を見せていただけに、突然の訃報は、角界に大きな衝撃を与えた。

大相撲関係者が揃って悲しみに暮れたのは、生前の音羽山親方が力士をはじめ、多くの関係者から愛されていた何よりの証拠だろう。『千代の富士物語』『旭鷲山物語』など、多くの力士たちの伝記的漫画を描いてきた相撲漫画の第一人者である山崎匡佑(きょうすけ)氏は、音羽山親方との思い出をこう語る。
「何度か酒席を共にしたことがありましたが、とにかく半端じゃなく酒が強かった。日本酒が好きで、よく飲んでいたんですが、一人で4升ぐらい飲んでもケロッとしていましたよ。ただ、決して酒癖が悪いというわけではなく、頭の回転が速くて、周囲の人たちを笑わせるのがうまい"宴会部長"という感じの方でした」

そんな人柄ゆえ、多くの人に慕われた。その一方で、土俵にかける思いは誰よりも真摯で、まっすぐなものだった。
「引退後、親方となって理事会などにも出席するようになってからは、理事会の不明瞭なお金の流れなどについて、理事会のお歴々に向かって物怖じせずに、厳しく追及をしたことがあったそうです。角界の"膿(うみ)"を出そうとする正義感にあふれていました。まだまだ、先のある方だったのに……残念でなりません」(山崎氏)

角界に多大な功績を残した音羽山親方の冥福を祈りたい。合掌――。

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