もう必死すぎる!? 江戸時代の参勤交代はこんなにも悲惨だった!!の画像
もう必死すぎる!? 江戸時代の参勤交代はこんなにも悲惨だった!!の画像

江戸時代の大名は領地と江戸の間を定期的に往復していました。いわゆる参勤交代です。その行列は大名の威光を示すバロメーターとされ、小藩でも数百人、大藩だと千人を超える人数になりました。

映画やドラマではよく、先払いが「下にー、下にー」と声をかけ、庶民が道の端に土下座するシーンが描かれます。しかし実際には、土下座が要求されたのは御三家(尾張、紀州、水戸)の行列のみ。それ以外の大名の場合は、道を開けてジャマにならないようにするだけでOK。掛け声も「下にー」ではなく、「よけろー、よけろー」とか「片寄れー、片寄れー」だったそうです。

大名行列というと、きれいな隊列を組み、ゆっくり、威厳を持って行進する。そんなイメージを持っている人もおおいでしょうが、これも現実とは違います。

整然と行進するのは、人目の多い町の中や宿場だけ。街道では隊列を崩して猛ダッシュ。普通の旅人が13~14日かける距離を、大名行列は10日程度で移動しました。
大人数での旅は莫大な費用がかかり、藩財政を圧迫します。少しでも旅費を浮かせようと、人目のないところでは必死で走っていたのです。

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