とにかくスターになりたかった

――それでフリーへと転身し、その後のスターダムへの道につながっていったと。

イオ そうですね。

――そのスターダムという団体ですが、イオ選手がそこを目指した動機というのはなんだったんでしょうか?

イオ 私、スターになりたいんです。とにかく、スターになりたい。それはフリーになったころから現在までずっと変わらず持っていて。色々なプロレスを見てきて、その当時あった団体のほとんど全部のリングに上がったんですけど、そんなときに出会ったスターダムに「ここはスターになれる場所なんじゃないか」って感じたんです。当時の女子プロレスって、スターがいなかった、というか、どの団体を見ても誰もスターになろうとも思ってなかったと思うんです。

――対世間とかを意識していない、大会を開いてちょっとでもお客さんが来ればいいか、みたいな閉じた世界だったように思います。

イオ そうですよね。でも、私がスターダムという団体に魅力を感じたのは、本当に可愛らしい見た目の女の子がイッパイ集まって、彼女たちが本気でボロボロになりながらリングに立ち続けている姿。で、その子たちがスターになろうって必死に切磋琢磨している姿だったんです。

――はい。

イオ でも、そのとき私がフリーでいろいろな団体に上がらせていただいていたときは……正直なところ、何のモチベーションも無かったんですね。興行に出て、何の意味もなく勝って、何の意味もなく負けるという繰り返しで……面白くもなんともなかったんです。申し訳ないですけど。ハタチ過ぎの頃ですかね。

――高校を卒業して“職業”としてプロレスを選んだのに、そういう状況に?

イオ でも、スターダムを見てたら、選手のひとりひとりが、勝って喜びを爆発させたり、負けたら悔し泣きしたり……。そんな姿を見せられたらいつの間にか、自分もココで闘いたいって思って。

――そしてスターダムの門を叩いたと。

イオ そしたらもう、負けたら悔しいし、勝ったら嬉しいし楽しかったんですよ! やっぱり、闘っている本人が楽しくなきゃ、お客さんだって楽しくないですよね! 

――そうですね。

イオ 私、スターダムでの初めての試合で負けているんですよね~。愛川ゆず季に。ひじをケガしたうえに負けちゃって。しかも王座に挑戦しての負けで……、すっごく悔しかったんです。私はスターダム初戦に意気込んで「自分はこの団体でノロシを上げるんだ」って挑んだのに……、ボロ負けですよ。それ以前に、王座に挑戦表明したのに、どこの媒体にも『愛川ゆず季』って名前しか載らないんです。どこにも紫雷イオの名前は無い……、なにひとつ。それが試合前だったらまだしも、試合後のどの媒体にも私のことには触れられていない。それがすごく悔しくて!

――相当悔しい思いがあったんですね。

イオ でも、そういう感情を芽生えさせてくれたのがスターダムという団体で。それは、それだけスターダムでの勝敗に価値があるってことなんだなって思うんですよね。

――フリーだったころにはそういう価値観は無かったと。

イオ 無かったですよ。だって、それ以前に何の媒体にも載らないし、マスコミも食いつかないですから。

――それが、愛川ゆず季という選手には媒体が食いついたと。

イオ もともと芸能人としての知名度というのはあるでしょう。でも、スターダムでの彼女の活躍を見たら認めざるを得ないものがあって。だからこそ自分でスターダムの道を選んだからこそ、のし上がって……、って出鼻はくじかれちゃいましたけど(笑)

――例えばの話、あの一戦で愛川さんからベルトを獲っていたら?

イオ チョロいぜってなって、今とは違う感じの私だったと思う。だから逆に良かったんだなあって思ってますよ。けどボロッカスに負けて。しかも、いくら年上とはいえキャリア的には私のほうが5年近く先輩なわけで、それをね……。



取材◎ライターゐりゑ


インタビュー後編「王者になってもしばらくは腰にベルトを負けなくて、ずっと肩に担いでた」はhttps://taishu.jp/16512.php


profile
紫雷イオ
1990年5月8日、神奈川県生まれ。2007年3月に実姉・美央とともに「紫雷姉妹」としてデビューを果たす。数々の団体にフリーとして参戦後、2012年よりスターダムに所属。器械体操の経験を活かした華麗な空中技を武器とし、スターダム初の5大王座を制覇。ニックネームは「天空の逸女」。

■7月26日に後楽園ホールで行われる「STARDOM×STARDOM2015」大会で姉・紫雷美央との3年ぶりのタッグマッチを発表。
チケットなどの詳しい情報はオフィシャルサイトへ!
http://wwr-stardom.com/

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