メディアに向かって仰天持論

第2Rは三連休明けの21日、文部科学省が主催した関連会合でのことだ。急遽決まった閣僚会議に出席するため、下村博文文部科学相が途中退席すると、
「呼びかけた下村文科相がただちに退出するというのは、極めて非礼だ」
「私は、極めて不愉快な気持ちになった。みなさんもそうだと思うので、僕から言っておきます」
とオカンムリ。会合中、怒りをムカムカと蒸し返してたけど、よほどご立腹!?

続く第3Rは、22日の会見。森元首相は、新国立競技場問題を突如、高級車になぞらえて、
「我々はクラウンぐらいの車に乗っていたら、後ろから大きなセンチュリーが来て、"こっちのほうがいいから乗せてあげるよ"と言って、乗ったらパンクして降りなさいとなった」
……ってどういう意味!?

前出の政治部記者はこう"解説"する。
「ラグビーW杯はもともとは横浜の日産スタジアムで決勝戦で行う予定で、この"日産"をクラウン、新国立競技場をセンチュリーとしたんですが、記者の間でもその真意がよく分からないと、話題になりました(笑)」

さらに、森元首相は、
「新国立競技場の2520億円は高いか安いか。総合すると実は国が一番安い」
と東京五輪全体で組織委が7000億円、都が3000億円を負担する中、"国が受け持つのは新国立競技場だけ"と強く皮肉ったうえ、
「このあたりの数字は、安倍晋三首相はご存じない」
と総理を小突き、
「こういうことを、下村博文文科相は知っているんだから、もう少しきちんと、そういう説明を閣内でしないといけなかった」

ガブガブ噛みで下村氏は出血多量! 白紙の一件も、
「たいへん迷惑している」
と、政権のメンツも気にせず明言。カンカンカ~ン!! 安倍政権、TKO!!

「東京五輪を担当する文部科学省と、森さんがトップの組織委は、主導権争いを続けてきたところ。新国立競技場の建設を白紙撤回した責任を追及し、民主党の岡田克也代表、蓮舫代表代行は、下村文科相の辞任を要求。更迭論も浮上する中、森さんがマスコミを利用してうまく発言しましたね」(夕刊紙デスク)

御年78ながら、今や"時の人"の森元首相。しかし、数年前は隠居もありえたほど、窮地に追いやられていた立場だ。
「09年の総選挙では、折からの"政権交代ブーム"民主党は森氏の選挙区である石川県第2区に対抗馬として"小沢ガールズ"の田中美絵子氏をブツケてきました。危機感を覚えた森氏は、ドブ板選挙で応戦。"5人集まれば、森がいる"という徹底したものでした」(ベテラン政治記者)

スポ根顔負けの根性で森氏は勝利するも、票差はたった4000票。自民党は歴史的大敗で野党へ下野。みるみる求心力を低下させ、浜辺に打ち上げられたサメのように"瀕死"状態となった。次ぐ2010年8月、
「息子である森祐喜氏(当時の石川県議会議員)が、酒気帯び運転で物損事故を起こして逮捕されました」(同記者)

これがきっかけとなり、森祐喜氏は議員辞職に追い込まれるのだが、悲劇はさらに続く。
「続く11年7月25日、祐喜氏は急性膵炎による多臓器不全で突如、亡くなります。享年46。突然の不幸でした。翌12年、森元首相は総選挙に出馬せず、世襲も成らぬまま、政界引退を決めました」(同)

水族館で過ごすサメのように、森氏はただじっと静かに余生を送るはずだった。
しかし――、
「同総選挙で自民党は民主党に大勝し、安倍晋三首相が誕生。その後、滝川クリステルの"お・も・て・な・し"など秀逸なパフォーマンスで、2020年の東京五輪招致を決めました。そして安倍首相が、同五輪の組織委員会会長に森氏を指名。強大な権力を手にしました」(夕刊紙デスク)

森元首相が"東京五輪"という大海原へ放たれた。
「自民党最大派閥を長く率いていた森氏は、義理人情に厚く、人脈も広い。各方面の事情にも精通している。五輪のような巨大事業を進めていくのに、安倍首相にとって、最も頼りになる"相談相手"になるのでしょう」(前同)

政治ジャーナリストの二木啓孝氏が言う。
「自民党と政権との利害調整役をできる政治家が、森さんくらいしか存在しなくなったということでしょう。過去でいえば、野中広務元官房長官、青木幹雄元官房長官、古賀誠元幹事長などがいましたが、みんな退いてしまいましたから」

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