悲運の死のあとに"栽野球"の花開く

栽の悲運は、監督を退いてからも続いた。
体調を崩し、咳が止まらなくなったのは、2007年2月。個人病院に行くと、帯状疱疹と診断されたが、3月に入ると、吐血。総合病院に転院し、MRI検査を受けた。
「心臓のバイパスに動脈瘤があり、肺に出血している」
そう言われ、緊急手術を行った。

14時間に及ぶ大手術だったが、関係者が見舞いに行くと、栽は食事をしており、むせていた。4月下旬、容態が急変し、ICU(集中治療室)に収容された。そして、意識が戻らないまま、5月8日、帰らぬ人となった。病院側は「呼吸不全」としか説明しなかったが、死因は肺炎。悲運としか言いようがない最期であった。

しかし、栽が種を蒔き、水をやって育てた沖縄の高校野球は、大輪の花を咲かせる。我喜屋優監督率いる興南が、甲子園大会で春夏連覇を成し遂げるのは、栽の死から3年後の2010年のことだった。

(文中=敬称略)

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