ただし、事は思ったようには運びませんでした。まず、協力してくれる業者がいません。どれだけ力説しても、「そんなの無理でしょう」と僕の横から離れていってしまう。 そのときに浮かんできたのが、武田作十郎先生と並んで僕のもうひとりの師匠とも呼ぶべき、浅見国一先生の顔でした。
エアロ使用の第1号は、浅見国一厩舎のヤマニングローバルがデビューした1989年9月17日の阪神第1レース。パートナーは同じく浅見国一厩舎のヤマニンノッカーで、3番人気でこれをポンと勝つと、第4レースの新馬戦、ヤマニングローバルは馬なりのまま、3馬身差の大楽勝。レース後、してやったりという満面の笑みで、先生と顔を見合わせていました。
浅見先生と取り組んだエアロフォームの誕生秘話と苦労話は、まだまだいっぱいあり、それはまた、いずれお話ししたいと思いますが、騎手の勝負服を見るのも競馬の楽しみ方のひとつですから、暑さを乗り越えて、ぜひ今週は、競馬場に足を運んでください。
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