「すべての責任はこの田中角栄が背負う。以上」

では、誰もが恐れる番長タイプであり、同時にアタマも切れ、人間的な包容力も兼ねそなえた不良がいた場合にはどうなるのだろう? しかも、そんな男が政界に進出したら?

「コンピューター付きブルドーザー」の異名を持った田中角栄。彼こそが戦後史上最強のヤンキーと言うことができるかもしれない。
「私が田中角栄だ。小学校高等科卒業である。諸君は日本中の秀才代表であり、財政金融の専門家ぞろいだ。私は素人だが、トゲの多い門松をたくさんくぐってきて、いささか仕事のコツを知っている。できることはやる。できないことはやらない。すべての責任はこの田中角栄が背負う。以上」

角栄44歳、大蔵大臣に就任したさい、並みいる官僚を前にしての挨拶である。
新潟の極貧家庭に生まれた角栄は、ガキ大将だった小学校を卒業すると社会へ飛び出し、19才で自身の建設会社を設立。それだけならよくいるヤンキー社長で終わっていたかもしれない。が、角栄はさらなる権力を求め、違法すれすれの強引な方法で資金を集め国会議員に当選。出世の階段をのぼっていった。吉田茂は角栄を
「あの男は刑務所の塀の上を歩いているようなものだ。ひとつ間違えば内側へ落ちてしまうぞ」
と評したが、角栄は人の上に立つ者に必要なすべての要素を兼ねそなえていたといっていい。

「歩く六法全書」と呼ばれ、「家が恵まれていれば、余裕で東大に受かっていた」と言われる記憶力、地アタマの良さ。官僚を使いこなすため、彼らの経歴をすべて頭の中に入れ、冠婚葬祭などの気づかいは絶対におこたらない「人たらし」術。「借りた金は忘れるな。貸した金は忘れろ」という気前の良さ、年上の政治家からさえ「オヤジ」と呼ばれた包容力。
そしてあの押し出しの強すぎる顔面から繰り出される、ユーモアあふれる演説の上手さ。街頭演説で大衆にかこまれ、「ヨッシャ、ヨッシャ」と気さくに笑う角栄を国民も「今太閤」と呼んで愛した。

角栄クラスになれば、ヤンキーというよりもはや戦国時代の豪傑に近いかもしれないが、生前側近にはよくこう語っていたという。
「どんな相手でも、サシの勝負に持ちこめば絶対に負けない」
最後はやはりタイマン勝負、ということか。
密室での角栄は「ヤクザも怯えるほどド迫力だった」と言われる。不世出の宰相は窮地では常にこの手法で問題を解決し、自身がブチあげた「日本列島改造論」を実行してみせた。

政治の舞台でも芸能界でも一般社会でも、そしてどんな時代でも。
タテマエではなく本音と気合いで勝負するヤンキーイズムとは、大事を為すには不可欠の要素なのかもしれない。



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