ザ・グレート・カブキが語る“新日本マット トレード参戦の真相”とは!?の画像
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「東洋の神秘」の異名を誇り、アメリカを震撼させた希代のペイントレスラー、ザ・グレート・カブキは、平成維震軍の一員として90年代の新日本プロレスに確かな爪痕を残している。全日本プロレス育ちのカブキが見たG1、そして新日本のリングとは……。先日発売となったムック「逆説のプロレス vol.2」(双葉社)から、ザ・グレート・カブキと永島勝司による対談をお届けする。



■ザ・グレート・カブキ ざ・ぐれーと・かぶき
●宮崎県出身。1964年に日本プロレス入門、山本小鉄戦でデビュー。日プロ崩壊後、全日本プロレスに合流。81年に遠征先のアメリカでザ・グレート・カブキに変身、毒霧やヌンチャクなどミステリアスなキャラクターで日米を席巻した。90年にSWSに移籍後、WAR、新日本プロレス、IWAジャパンなどに参戦。98年に一度現役を引退するが、現在もスポット的に試合を行う。

■永島勝司 ながしま・かつじ
●1943年、島根県出身。88年新日本プロレス入社。渉外・企画宣伝部長を経て取締役に。現場監督の長州力とともに団体を牽引。第1回からG1クライマックスをプロデュース。2002年2月に新日本を退社。


カブキが出場したG1クライマックス第3回大会(1993年)は、プロレス史上初にして現在も最長記録の両国7連戦という試みだった。ここでカブキは武藤と対戦するが、その直前にはグレート・ムタとの「親子対決」があった。5月にWARの大阪府立体育会館大会、6月には新日本の日本武道館大会でシングル連戦を行っている。

――ムタ戦をマッチメイクした永島さんの意図はなんだったんですか?

永島 最高に面白いじゃない。マッチメイクする側は客を呼ぶのが第一だから、親子であろうが孫であろうが(笑)、このカードだけ提供して、あとはもう二人の好きにさせればいいわけだから、こんな楽なマッチメイクないよ。

カブキ ただ、お客の想定内の試合をしようとは思いませんでしたよ。お客の思うような内容だったら「はいはい、よくやった」で終わっちゃう。

――そう考えると、カブキさんが頭から血を噴き上げたのはインパクトがありました。

カブキ テレ朝が「これ以上は放送できません」ってテロップを出したんですよ。

永島 伝説のジュースマッチ!

カブキ 期待の上をいかないと、お客は座席から前のめりになって見入ってくれないんです。

――そして、G1では素顔の武藤敬司戦でした 。

カブキ ムタも武藤も闘った印象は一緒ですよ。本人は違った感じを出そうとしてたかもしれないけど、俺にとってはなんら変わらない。自分は、いかにお客を楽しませるかが大事だから、別に勝ちたいとか決勝に残りたいとかじゃない。

永島 それがカブキさんと武藤の違いよ。そこをもっと継承していれば、あいつが全日本に行くこともなかったかもしれない(笑)。

――この年のG1は、両国7連戦という史上初の試みだった一方、WARとの対抗戦の色合いが強く、焦点がブレているとの批判もありましたが……。

永島 結果的にそうなったんだろうね。公式戦がない日もあったんで、周囲から怒られましたよ。でも、G1のトーナメントだけで1週間持たねぇもん(笑)。そういう時にカブキさんというのは、本人を目の前にしてアレだけど、いい客寄せパンダだった。

カブキ アハハハ(苦笑)。

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