90年に再び凱旋帰国した武藤。ザ・グレート・ムタというキャラクターも使い分け、人気面も含めれば、実質的なトップに。柴田氏の脳裏にも、数々の激闘が刻まれていた。
柴田 やっぱり武藤さんと言えば、僕は95年の10・9東京ドームの高田戦なんですよ。というのは、僕この時、猪木さんと並んで解説やらせてもらったんですよ。武藤さんが入場でガウンをパッと開いて、見栄を切るじゃない。そしたら猪木さんが渋い表情になって。ああいうパフォーマンス、猪木さんはあまり好きじゃないらしいんですよ。
武藤 自分はやるじゃない。
柴田 自分はやるけど、他人がやって、しかも超満員だった。あれは絶対猪木さん、「俺が関係ないのに、ここまで満員なのか」ってカチンときてた。間違いなく。
武藤 その辺、あの人のエネルギーの源だよね。ジェラシーというか。
柴田 あと、ムタとして福岡ドームで猪木さんとやった時(94年5月1日)もすごかった。
武藤 引退カウントダウンの試合なのに、そこからどんどんカウントアップしちゃったんだよね。
柴田 すごいって、そこじゃなくて(笑)。猪木さんがマイクで、「いつでも殺してやる」だの「腕一本くれてやる」だの「ふざけやがって」って。猪木さんにあんなこと言わせたのは武藤さんだけ。好き放題やられて悔しかったというか。
武藤 まあ、俺はね、猪木さんの顔がムタの毒霧でグリーンになったらそれでよかったんですよ。勝負論を展開するあの猪木さんが緑だったら、それだけで俺はハッピー、ハッピーだったの。
柴田 勝った!と。
武藤 勝ったというか気分はよかった。小川(直也)とグレート・ムタの試合(97年8月10日)でも、レフェリーやった猪木さんに毒霧吹いてるくらいだから。
柴田 あったね。試合もはじまってないのにいきなり。猪木さん、びっくりした感じで。
武藤 猪木さんとは、俺、いい距離感でいたと思うよ。橋本みたいにベッタリになると危険じゃん。
柴田 会話はあったんですか。