ミイラ取りがミイラになって泥沼にはまるケースも

かといって、すべてのヤンキーアイドルが三原じゅん子のようにバリバリの極道路線なワケでじゃない。むしろ大多数は80年代に巻きおこったツッパリブームのために事務所からムリヤリ不良少女路線に変えられた「作られたヤンキー」だった。

たとえば南野陽子。スケバンの刑事役を演じ、「おまんら……許さんぜよ!」のキメゼリフで一躍ブレイク、トップアイドルの座をつかみとったが、本人のパーソナリティはいたっておっとり清純派。その後リリースした『吐息でネット』『はいからさんが通る』などのヒット曲もヤンキー性はみじんもない。

憧れのおフランス在住、今やエレガントなセレブレティの香りしかしない中山美穂も、当初は「オトナっぽいキツめの美人」というそのルックスからツッパリキャラで売り出されていた。『毎度おさわがせします』のツッパリ少女・のどか役でドラマデビュー、初期の代表作も『セーラー服反逆同盟』などのスケバン役と、ヤンキー役ばかり。「ミポリンといえばヤンキー」としばらくはツッパリイメージが抜けなかった。

ほかにも『はいすくーる落書』の斉藤由貴や『不良少女とよばれて』の伊藤麻衣子……と「作られたヤンキーアイドル」には枚挙にいとまがない。それでもブレイク後はみなツッパリイメージからの脱却をはかり、紆余曲折はあっても現在は幸せな人生を歩んでいる。

だがミイラ取りがミイラになって、ドロ沼から抜け出せないケースもある。
悲劇の歌姫、中森明菜である。16才で当時のアイドルの登竜門だったオーディション番組『スター誕生!』に合格、シングル『スローモーション』でデビュー。と、ここまでは〞花の82年組〞と呼ばれた同年代のアイドルと変わらない。問題は2作目の『少女A』だ。
「黄昏れ時は少女を大人に変える素肌と心はひとつじゃないのね じっれたい じれったい……」
チャラチャラ歌うアイドルが多いなか、全盛期の山口百恵を彷彿させるビブラートとドスのきいたハスキーボイスを響かせ、大ブレイクしたのだ。

この作品は、当時起こった実在の『歌舞伎町ディスコ殺人事件』をモチーフにしているとされる。82年、家出少女が歌舞伎町のディスコで知り合った男から「一緒にドライブに行こう」と誘われ 、クルマに乗り込んで行方不明となり、翌日に絞殺死体として発見された今もって未解決の殺人事件である。そのイメージに、誰もがふりかえる美少女ながら、どこかさびしげな影のある明菜のイメージがハマりにハマって、『セカンド・ラブ』『飾りじゃないのよ涙は』とヤンキー路線をつっぱしった。

明菜のバックボーンをさぐっても不良少女だった過去はない。東京の辺境ともいえる清瀬市で育ち、家庭は金銭的に恵まれているとはいえなかったが、小学校からバレエを習うなど非行とはほど遠い環境で育っている。
デビュー当初は――その後のイメージからは想像つかないかもしれないほど――ふっくらとして健康的ですらある。だが校内暴力が吹き荒れ、深夜のゲームセンターやディスコに不良少年や家出少女がたむろした時代に、「影」どころか孤独な「闇」を感じさせる明菜は行き場のない少女の想いを代弁するミューズとなった。松田聖子が「陽」なら、中森明菜は「陰」。80年代前半、誰もかなわなかった女王・聖子と肩をならべられたのは明菜だけだろう。


しかし89年、交際中のマッチの自宅マンションで起こした自殺未遂騒動から転落がはじまる。骨折でのドラマ降板や損害額1億円ともいわれるディナーショー中止などスキャンダルがあいつぎ、摂食障害で激ヤセ、家族とも絶縁、ついには公の舞台には姿を見せなくなり……と、大映ドラマを地で行くような壮絶な不幸っぷりは、今やいつもはエゲない情勢週刊誌さえネタにできないレベルに達してる。それでもまだまだ人気は根強く、昨年リリースしたベストアルバムはCDセールスが低迷するなか、売り上げ25万枚を突破! 待望論をうけて年末の紅白歌合戦にもニューヨークからの生中継で復活をはたしたのだった。

はたしたのだった、が……。
「みなさんにすこしでも……あたたかさ……とどけばいいなと……おもいます……」
ボリュームをマックスにしないと聞きとれない放送事故レベルのウィスパーボイスで、年の瀬のお茶の間を凍りつかせた明菜。無理に背負わされた不良少女のイメージは、もはや明菜の宿命なのか……。

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