関東は「鰹だし」関西は「昆布だし」を好むのは◯◯が理由だった!の画像
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麺を食べるなら、関西はうどん、関東は蕎麦。「だし」なら、関西は「昆布だし」、関東は「鰹だし」とわかれる。これは、うどんと蕎麦の汁を思い浮かべてみれば分かるだろう。違いは色だけではなく、関西風のうどんは昆布ベースの「だし」に薄口醤油、塩少々、関東風の蕎麦は鰹の削り節ベースの「だし」に濃口醤油、みりん、砂糖で作った「かえし」で作られた、お互いに妥協できない味付けにある。

では、なぜ関西と関東で違う「だし」を使うようになってしまったのだろうか。その理由は諸説あるが、以下の3つが有力らしい。

1:流通経路
昆布は17世紀後半、当時は蝦夷と呼ばれていた北海道から、北前船によって日本海側の港を経由して大阪に運ばれ始めた。それがさらに、東へと航路が伸び、江戸にも運ばれるようになったのだが、まず大阪で上質な昆布から売れていき、売れ残ったものが江戸で消費されたため、関東では関西ほど「昆布だし」が発達しなかった。

2:水質の影響
関西の硬度が低い「軟水」は昆布の旨味を引き出すのに適しているが、炭酸カルシウムを含有する関東ローム層の影響で硬度が高い関東の「硬水」は、昆布にむいていない。そのかわり、鰹の削り節の「だし」と濃口醤油が主流になった。現在は水道局が水質を管理しているので、水道水の硬さは地方によって、それほど大差はなくなっているらしい。

3:庶民の気質
昆布から「だし」をとるためには、水から鍋に火をかけ、沸騰しないように気を配りながら、じっくり時間をかけなければいけない。それに対して、鰹の削り節は沸騰した鍋の湯で煮立てれば、サッと「だし」をとることができる。つまり、「昆布だし」をとるのは短気な性格の人間には苦痛なので、せっかちな江戸っ子の気質に合わなかった。

ちなみに、江戸時代の蕎麦通といわれる、日新舎友蕎子(にっしんしゃゆうきょうし)が寛延4年(1751)に著した「蕎麦全書」に『近頃の蕎麦屋は「だし」に鰹を使うところが多くて嘆かわしい』とあるので(元々は煮詰めた酒と醤油と混ぜたのや、水で溶いた味噌を使っていた)、江戸でつゆに「鰹だし」を使うのが一般的になったのは18世紀中頃だと思われる。

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