チャクリキから離れている時代のピーター・アーツ選手に詳しいのが「K-1の特攻隊長」天田ヒロミ選手です。意外に知られていないのですが、天田選手のキックの師匠はピーター選手なのです。中央大学時代にアマチュアボクシング日本一となり、K-1にスカウトされた天田選手は、K-1での闘いに慣れるためオランダに渡りホテル暮らしをしながらピーター・アーツ選手と一緒に練習に励んだそうです。

やがて天田選手がホテル暮らしをしている事を知ったピーターは「お金が勿体無いだろう! 俺の家に一部屋余っているから、そこに下宿しろ」と天田選手を自宅に誘いました。
天田選手にとってはホテル代はK-1が払ってくれていたからホテルでも良かったのですが、熱心に親切にピーターが言ってくれるものだから、ピーターファミリーとの同居生活を始めたとか。ちょっとした内弟子ですね。
その後、2012年にはピーター・アーツ選手と天田ヒロミ選手が同時にIGFに参戦。プロレスとのミックスマッチで両選手がタッグを組むという、K-1時代には考えられなかったカードも実現しました。
試合に快勝した二人とセコンドで控室にて記念写真を撮ったのですが、ピーターはふざけて天田選手にヒザ蹴りを入れるポーズを取り、二人の仲の良さがわかる一枚になりました。



ピーターは皆が思う通り、他人に優しくて自分に厳しい男です。天田選手も一緒に練習していた頃、叱咤されて練習を強いられた記憶は無いそうです。むしろ天田選手が一通りのメニューを終えても、更にピーターが独り残って練習を続けている姿を何度も見て、彼の強さの一端を知ったとか。それでも週末には必ず天田選手を誘い、クラブなどで飲んで騒いだりしたそうです。気遣いの出来るサイコーの兄貴ですね。

ピーターの人間性に触れると、誰もが皆ピーターのファンになってしまいます。あの「番長」ジェロムも有明でのGLORY13で自分の試合が終わると、花道横に陣取ってピーターの応援に大声を挙げていました。
人に頼まれたら決して嫌とは言わずやってのける責任感の強い男です。
最後のK-1GPとなった2010年の準決勝ではボロボロの姿になりながらセーム・シュルトを破って決勝に進出。しかし額の傷が酷くドクターは棄権しての縫合を勧めましたが「俺が闘わないと皆が納得しないだろう?」と玉砕覚悟で決勝戦を闘い、壮絶に散りました。
K-1を支え続けた選手を一人挙げるなら、それは間違い無くピーターでしょう。

ピーターよりは私の方が年上なのですが、一時期いつも私はピーターに注意されておりました。
当時の私はヘビースモーカーで、煙草を吸う私の姿を見るとピーターは「アマイ、煙草は身体に悪いぞ。止めるべきだ」と何度も何度もたしなめてきました。それも怒るのではなく、私の健康を気遣って。
ピーターが相手の事を考えてアドバイスしてくれているのを知るようになった私は禁煙を決意致しました。そして2年、禁煙は続いております。しかしその代償として15kgも太ってしまいました。
今度会ったら「肥満は身体に悪いぞ」とたしなめられるかもしれませんね。


甘井もとゆき
PROFILE
1967年4月22日生まれ。ドージョーチャクリキ・ジャパン株式会社 代表取締役。オランダ・アムステルダムを本拠地とする格闘技道場の名門ドージョーチャクリキの日本代表。日本人選手のマネージメント、外国人選手の招聘、自主興行の開催などを通じ、ファイティングスポーツの世界に携わっている。
ドージョーチャクリキ・ジャパンHPhttp://www.chakuriki.jp/
フェイスブックhttp://www.facebook.com/motoyuki.amai

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