2009年1月、ノブ ハヤシ選手は中国での「英雄伝説」大会出場のため都内にて血液検査を行い、急性骨髄性白血病の発症が確認されました。奇しくもノブ選手が最後の対戦相手となった故アンディ・フグ選手と同じ大病です。

アンディ選手の急逝が強烈な印象であった為に、ノブ選手の病名を聞いた時には頭を鈍器で殴打されたような衝撃が身体中を走り、目の前が真っ暗になりました。

「ノブが死ぬ!?」そんな事ばかりが頭を駆け巡りました。

病気と闘うのはノブ本人ですから、本人の前では務めて明るく、ノブを励ますように心掛けました。この時期には何度も何度も病院を訪れましたね。

抗ガン治療を行うと免疫力が下がるので、ノブ選手は無菌室に居る事が多かったです。いつもガラス越しにインターホンで会話しました。無菌室は横並びに、言い方は悪いですが動物園の室内展示のガラスゲージのように並んでいました。
何度もそこに通ううちに、別の部屋が職員さんたちにより片付けられているシーンをよく目撃しました。部屋の主が亡くなったという事です。

そこでは「死」は特別ではなく日常でした。

40度を超える高熱が一週間続くなど、ノブ選手の抗ガン剤による治療は熾烈を極めました。元々坊主頭のノブ選手ですが、この時には見事に眉毛も全部抜けました。免疫力低下のため、食事制限もありました。生野菜や刺身のような生魚はNGで加熱した物だけ、しかも加熱より2時間以内の物だけを食べる事が出来ました。

少し体調が上を向くとノブ選手は「パスタが食べたい」と言い出しました。そこで私はコンビニに走り、パスタをレンジで温めてダッシュで病室に戻ってくる事を繰り返しました。本当、パシリでした。

焼き魚がOKとなった時にはノブ選手は「鰻が食べたい」と言い出しました。そこで私は一番近い鰻屋で焼き上がるのを待ち、タクシーに飛び乗って病院に鰻重を届けました。「加熱から2時間以内」という制限がありましたから、パシリも大変です。

それでも少しずつ食べられる物が増えていく様子は見ていて嬉しかったです。

食べ物で苦労しているノブを見ながら、「私にも何か出来る事は無いか?」と考えた末に、私はこの時期にダイエットを行いました。ノブ選手が退院する時には私は65kgまでダイエットしました。スーパーライト級ですね。ノブ選手の闘病をそばで見ていましたから、意外に苦労は無かったです。まぁ今はもう見る影もありませんが。それ以上に驚きは、こんな過酷な闘病生活を送りながらも、一度もノブ選手は体重100kgを割り込む事はありませんでした。まさに生まれもってのスーパーヘビー級戦士なのでしょうね。

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