近藤真彦がアイドル活動全盛だったころ、ジャニーズの合宿所が東京・明治神宮前にあった。間取りは驚異の7LDK。リビングでキャッチボールができるほどの広さだったというジャニーズ合宿所には、屋上にプールまで完備されており、上の階に矢沢永吉、下の階には永谷園の社長が住んでいた。
約三十数年前、そのマンションの一番奥の広い部屋を陣取っていたのは、田原俊彦だった。部屋から玄関まで、ポケットバイクで走るのが楽しみのひとつだったという。
そして、このころ合宿所に入所してきたのが、のちに光GENJIでトップアイドルまで駆け上がる諸星和己で、当時家出中だった諸星のために、ジャニー喜多川社長があてがったという話である。
田原俊彦が退去したあとは、少年隊の東山紀之、錦織一清、俳優の中村繁之、男闘呼組らが入居。彼らが独り立ちしていったあとにやってきたのは、のちにSMAPのリーダーとなる中居正広や、稲垣吾郎、TOKIOの城島茂など。城島は同世代の中居のために夜食を作っていたこともあるという。
ジャニーズJr.の入れ替わりが激しくなった90年代に、合宿所は六本木に転居する。しかし居入者数が10人を超えても2部屋しか確保できず、Kinki Kids、V6、関ジャニ∞などの入居者はストレスを溜めた。
時代の変遷を経て、青山の高級マンションに移ったとウワサされる現在のジャニーズ合宿所。オトコの花園では、日々どんなことが行なわれているのか。Kinkiの堂本光一、ジャニー喜多川は今でも合宿所に住んでいるらしいのだが……。