■会員番号17番・城之内早苗
'85年5月おニャン子入り。元巨人の城之内邦雄は大伯父にあたる。民謡や三味線の経験を持つ異色メンバーで、'86年6月に「あじさい橋」でソロデビュー。オリコン史上初となる演歌歌手初登場第1位という記録を打ち立てた。グループには解散まで在籍。その後も演歌歌手として芸能活動を続けており、現在までに24枚のシングルをリリースしている。'04年に夕やけニャンニャンのディレクターであったフジテレビの社員と結婚した。

■会員番号18番・永田ルリ子
'85年5月おニャン子入り。ソロデビューこそ果たせなかったが、'86年に単独で雑誌「月刊カメラマン」の表紙を飾るなど人気は高かった。手書きの丸文字が写植となり「ルリール体」として発売されたこともある。主要メンバーが卒業した後もグループに残り、解散までおニャン子クラブの屋台骨を支えた。'88年に番組制作会社の社員と結婚。解散以降はメディアへの登場がいっさいなく、当時の映像もカットやモザイク処理が施されている。

■会員番号19番・岩井由紀子
'85年6月おニャン子入り。身長が150㎝でおニャン子の中では一番背が低く、童顔のため実年齢よりも低く見られがちであった。同年10月にうしろゆびさされ組のメンバーとして「うしろゆびさされ組」でユニットデビュー。高井麻巳子の卒業によりうしろゆびさされ組の解散が決定した'87年3月に「天使のボディガード」でソロデビューし、グループ解散までおニャン子クラブを盛り上げた。解散後は歌手やバラドルとして活躍。ニックネームの“ゆうゆ”を芸名にしていた時期もあった。'97年に青年実業家と結婚し、芸能界を引退。現在は2児の母で主婦となっているが、旦那が経営する都内の飲食店に、手伝いとして顔を出すことも少なくないそうだ。

■会員番号20番・寺本容子
'85年7月おニャン子入り。正統派美少女であったが次第に夕やけニャンニャンへの出演が減り、9月頃にフェードアウトした。その後、プロダクションに所属しモデル活動をしていたが'96年に結婚。芸能界を引退した。

■会員番号21番・五味岡たまき
'85年7月おニャン子入り。明るいキャラクターで夕やけニャンニャンを賑わすも、寺本容子とほぼ同じ時期にフェードアウト。その後、バラエティ番組「パオパオチャンネル」に出演。'90年に結婚し芸能界を引退した。

■会員番号22番・白石麻子
'85年7月おニャン子入り。アイドルっぽいルックスと舌足らずのしゃべりで、非ソロデビューながら人気を博した。'86年4月、ニャンギラスのメンバーとして「私は里歌ちゃん」でユニットデビュー。ニャンギラス解散後もおニャン子クラブ解散までグループに在籍した。解散とともに芸能界を引退し'92年に結婚。現在、4児の母となっている。ここ数年は時折メディアに登場するようになり、'12年にはマツモトキヨシのCMに単独出演した。

■会員番号23番・林香織
'85年8月おニャン子入り。関西駐在員として活動し'86年3月にグループを卒業。同時期に開催されたコンサートツアーには一部出演している。卒業後は化粧品会社に就職し、現在もその会社に勤務しているとのこと。

■会員番号24番・三田文代
'85年8月おニャン子入り。広島駐在員として活動し'86年3月にグループを卒業。同時期に開催されたコンサートツアーには一部出演している。卒業後はモデルとして活動。現在はニューヨークで舞台に出演しているとか。

■会員番号25番・吉沢秋絵
'85年8月おニャン子入り。テレビドラマ「スケバン刑事II少女鉄仮面伝説」の出演者も兼ねたオーディションであったため、合格直後にドラマ出演とソロデビューを果たした。性格はマイペースでのんびり屋。'86年9月にグループを卒業しタレント活動を続けていたが、'91年に芸能界を引退。'93年に小説「神様、ごめんなさい!!」を上梓したことがきっかけで編集者となる。'96年に結婚し、長らく海外生活を送っていたが、現在は国内在住とのこと。

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