[最強打者伝説] 榎本喜八 2000本安打達成最年少記録を持つ“初代・安打製造機”!の画像
[最強打者伝説] 榎本喜八 2000本安打達成最年少記録を持つ“初代・安打製造機”!の画像

68年7月21日、東京スタジアム。東京(現・ロッテ)対近鉄(現・オリックス)ダブルヘッダー第1試合でのこと。第1打席で近鉄の鈴木啓示投手の初球を強振した榎本喜八の打球は、右翼線への二塁打となった。川上哲治、山内一弘に次ぐ、史上3人目となる通算2000本安打が達成された瞬間である。

日本のプロ野球界で、最初に「安打製造機」と呼ばれた選手が榎本だ。
その才能の開花は早かった。早稲田実業を卒業すると、毎日オリオンズに入団。デビュー年となる55年には早くも開幕スタメンに抜擢されて、1年目から見事な活躍を見せる。
結果、新人王を獲得するとともに、139試合出場、84得点、146安打、24二塁打、7三塁打、87四球、5敬遠、出塁率・414という、いまだに破られていない高卒新人最高記録を樹立した。

また、打率・298と打点67も、86年に清原和博(打率・304、打点78)に破られるまでは高卒新人で最高だった。
なお、24歳9カ月での1000本安打、冒頭に記した31歳7カ月での2000本安打は、いまも日本球界の史上最年少記録であり続けている。

榎本がヒットを量産できた理由は、選球眼が人並み外れて優れていたこと。1年目87、2年目95の「高卒入団2年連続リーグ最多四球」という記録は、ボール球には絶対に手を出さない選球眼の正確さの証だ。
審判の判定にクレームをつけるとき、彼は親指と人差し指を1㎝ほど広げて、「いまのは、これだけ外れていましたよ」と涼しい顔でうそぶいたという。

榎本は、王貞治を育てたことで知られる荒川博コーチの弟子。荒川は、その著書に〈生真面目な男で、求道心のかたまりのようなところがある〉と書いている。
その成果か、63年の一時期、榎本は「次はどのコースに、どんな球が来るのかよくわかる」と話していたことがある。まさに"神の域"の強打者だったのだ。

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