鬼監督が笑った!尾藤スマイル秘話

1970年4月5日、箕島対北陽(大阪)のセンバツ大会決勝は、球史に残るシーソーゲームになった。
5回裏、箕島が1対2から逆転の口火となる左越え二塁打を放ったのは、1番・田中正(遊撃手)。後に有名になる"尾藤スマイル"誕生の立役者だった。

「初戦の東海大相模戦で、遊撃手の田中がエラーし、ベンチに戻ってくると、私は"あと2、3個は折り込み済みだぞ"とジョークを飛ばしたんですが、"監督の顔を見るとリラックスできません"と口を尖らせるんです。そうかと思い、試しに笑ってみたら、そのあとチームは大逆転。6対2で勝利したんです」(尾藤)
最初は無理やり笑ったため、作り笑いになったが、何度も笑ううち自然な笑顔になったという。

「三振した選手に、本音で"ええ振りやった"と話しかけ、エラーした子供に、"前進して捕りにいったんやから、ええやないか"と、本心から声をかけられるようになり、笑顔がスムーズに出るようになりました」
尾藤の人間野球の始まりである。

1番・田中の二塁打に続き、2番・川端潔(中堅手)が四球で歩くと、一死一、二塁。ここで、尾藤は重盗のサインを出し、成功。二死二、三塁から、投打の柱である4番・島本講平(後に南海、近鉄)がライトへ2点タイムリーを放った。島本は新チームになり、打率4割8分5厘、本塁打8本という成績を残し、「大会ナンバーワン打者」という評価を得ていた。

3対2と逆転した箕島だが、守備のミスから同点に追いつかれ、延長戦に突入。10回表、北陽に1点を入れられてリードを許すと、尾藤がハッパをかけた。
「まだアウトは3つある。最後の1球まで絶対に諦めるな!」
10回裏一死一塁から、前の打席でタイムリーを放った島本が打席に入ったが、三振。涙ながらにベンチに戻ると、尾藤が声を荒げた。

「同点にしてやるから、外に出て、キャッチボールでもしとけ!」
東尾と対照的な性格の島本を、尾藤は"叱り育て"たのである。
1点ビハインドの二死一塁、カウント1ボール2ストライクという場面で、尾藤は大胆な采配を見せる。5番・森下敏秀(三塁手)の勝負度胸を買い、ヒットエンドランのサインを出したのである。

右打席の森下は尾藤の期待に応え、アウトコースの難しいカーブにバットを出し、打球はライト線の同点二塁打になった。
延長12回裏二死三塁から、4番・島本が打席に入った。今度は汚名返上とばかりにライトへ弾き返し、サヨナラ勝ち。箕島が初優勝を飾ったのであった。

翌日の毎日新聞は「総評」に、こう記している。
〈守りのミスを最小限にくい止めたのは、のびのびとプレーする明るいベンチの空気にほかならない。重荷を感じない、楽しいベースボールができるチームが優勝したことは、大会史に意義深い1ページを加えた〉

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