このチャクリキ道場での集合写真を見てください。トム会長、ノブ選手、ロイド・ヴァン・ダム選手、メノー・ダイクストラ選手などと一緒に映っているのは、写真の一番右端がメルビン・マヌーフ選手、その隣がバダ・ハリ選手です。
メルビン選手はチャクリキのロゴの入ったキックパンツを履いています。バダ・ハリ選手はトム会長のTシャツを着ております。この二人にこんな時代があった事、初めて知った方がほとんどではないでしょうか?
バダ・ハリ選手は少年時代からチャクリキに通っておりました。モロッコ系というマイノリティの出身であったバダ選手は少年時代に虐められる事も多かったのではないかと想像出来ます。
少年時代にはチャクリキ伝統の赤道衣を着けて空手大会に出場。数々の大会で優勝を果たしました。ブランコ・シカティックが欧州にて「M−1」というキックの世界大会を始めたときには未成年ながらチャクリキ代表として出場し、準優勝を果たしました。
ちなみにこの時、決勝戦でバダに反則勝ちして優勝した選手が、2003年11月の新日本プロレス横浜アリーナ大会に初来日し、ヤン・ノルキア選手とK−1ルールで戦ったイワン・ルーデン選手です。天田ヒロミvs柴田勝頼の対決が行われた大会と言えば憶えている方も居られるでしょう。
よく、鳴り物入りで外国人選手が大会出場を果たす時「日本初上陸!」などと煽りますが、実はこれは間違いの場合が多いのです。と言いますのも、詳しい方ならご存知の通り格闘技の世界では試合に臨むのにセコンド(コーナーマン)の存在は必要不可欠であり、若手選手を経験のため、敢えてセコンドとして日本に送る場合もあるからです。
バダ・ハリ選手は2005年11月にK−1デビューを果たしますが、実は2002年9月のK−1大阪城ホール大会にて、逆輸入戦士としてチャクリキオランダ本部から参戦したノブ・ハヤシ選手のセコンドとして日本初来日を果たしています。
バダ・ハリ選手、弱冠17歳の頃です。同じような例では、あのタイロン・スポーン選手を2度に渡ってKOし、日本での試合を期待されているチャクリキのアミール・ゼヤダ選手もピーター・アーツ選手のセコンドで既に2〜3度来日しております。
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