武蔵丸は力が出せなかった!?
ところで、相撲史上に残る“世紀の大一番”というと、やはり、大関・若乃花(後に横綱=二子山部屋)と横綱・貴乃花(同)の兄弟対決だろう。平成7年九州場所・千秋楽の優勝決定戦。右四つの立ち合いから、貴乃花は上手を取れないまま、土俵際まで追い詰められ、あっけなく崩れ落ちた。
「まさに、あっけなく崩れ落ちたとしか言いようがない。土俵際でも貴乃花は足が前に出なかったんでしょう。兄(若乃花)が横綱を目指しているのが分かっているから、兄弟の情が絡み、動きたくても動けなかったんでしょうね」(相撲協会関係者)
兄弟愛を、まざまざと感じさせる逸話である。
では、少し目を転じてほしい。ロス五輪・男子柔道無差別戦の決勝で、山下泰裕の負傷した足を攻めずに敗れたラシュワンを覚えている方はいるだろうか。その後、ラシュワンはスポーツマンとしての“フェアプレー精神”を称えられたが、大相撲でも同じようなことがあったという。
平成13年の夏場所。14日目の取組中に横綱・貴乃花は、右ひざの関節を亜脱臼し、千秋楽の出場さえ危ぶまれた。だが、貴乃花は強行出場。横綱へ昇進していた武蔵丸との本割での対戦では予想通り、相手にならず、武蔵丸が完勝した。
ところが、優勝決定戦では、逆境を跳ね返して貴乃花が22回目の優勝。その際の“鬼の形相”は、今なお語り継がれる日本中を感動させた大一番だが、
「決定戦で土俵に上がった貴乃花が塩を取りに行ったとき、ケガをしている右ひざを回してみたら、うまくはまったというんですよ」(スポーツ紙の相撲記者)
だが、勝利の要因は、それだけではなかった。
「決定戦での武蔵丸の動きは、どこかぎこちなかった。あとで武蔵丸も“力が出せなかった”と意味深な発言をしています。武蔵丸には負傷した相手に勝っても……という気持ちがあったんでしょう」(前出のベテラン相撲記者)
その後、貴乃花は右ひざの半月板損傷で1年4か月にわたって休場。平成14年秋場所に横綱審議委員会(横審)の勧告もあり、調整が不十分ながら、強行出場することになった。その11日目に、貴乃花が対戦したのが、新大関の朝青龍(後に横綱=高砂部屋)だった。
朝青龍は、前年の夏場所で何もできずに貴乃花に押し出されただけに、汚名返上に燃え、その日まで1敗を守り続けていた。しかも相手の貴乃花は休場明けで調整不足の状態である。闘志全開の朝青龍は強烈なノド輪から激しい突っ張りで貴乃花を追いつめ、そのまま寄り切りかと思えた瞬間、両手でまわしをつかまれ、貴乃花の上手投げで大逆転負けを食らう。これまた貴乃花の不屈ぶりを物語る伝説の一番となった。悔しいのは、敗れた朝青龍。一礼もせずに土俵を下り、花道で「チキショー!」を連発。知られざる衝撃エピソードが起きたのは、まさに舞台ウラ、支度部屋に戻ってからだった。
記者の質問に「優しい相撲をしちまった。あんな上手投げで負けるとは。ケガした右ヒザを狙えばよかった」と言い放ったという。満身創痍の貴乃花に、あの朝青龍が本当にその発言通り、優しい相撲をしたかどうかは謎である。

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