把瑠都を恐れてノド輪攻撃!
さて、ケガといえば、大関の魁皇(友綱部屋)。彼自身、ケガに泣いたわけではなく、自慢の怪力から繰り出す小手投げで、これまで何人もの力士にケガを負わせているのだ。そこで、しこ名をもじり、ついたあだ名が、“破壊王(は・かいおう)”。
平成15年秋場所5日目、その魁皇が前頭筆頭の高見盛(後に小結=東関部屋)と対戦。魁皇が強引に小手投げに行こうとすると、高見盛がすっと腕を抜き、魁皇を押し出した。初日から4連勝と好調だったわりに
「ひどい負けっぷり。どうして、あそこで強引な小手投げにいったのか謎だったんだ」(前出のフリーの相撲記者)
という。その謎解きのヒントになるのが、魁皇が支度部屋でつぶやいたというひと言。「オレたちがやってきたことを否定するヤツ(高見盛)は許せない」魁皇が、そう話していたというのだ。
「その頃、高見盛は幕内に上がってきたばかり。彼は稽古場で力を出せないタイプらしく、それが、実力をカモフラージュしていると先輩力士らに勘違いされたんだね。ふだん温厚な魁皇も怒り、得意の小手投げで腕をへし折ってやろうと思ったとしか考えられないね」(前出のフリーの記者)
その後、誤解は解け、魁皇と高見盛の間には遺恨は残っていないという。
では最後に、平成18年秋場所で、入幕3場所目の把瑠都(ばると)(後に大関=三保ヶ関部屋)に対し、横綱・朝青龍が強烈なノド輪を決めて、そのまま押し出した一戦のエピソードを。
「朝青龍の全盛期の話だからね。なぜ横綱が新鋭相手に、あんな大人げない相撲を取ったのか、不思議に思った相撲ファンも多かったんじゃないかな。実は場所前の横審総見の三番稽古(2人だけで何番も行う稽古のこと)で、何番取っても、朝青龍は把瑠都に勝てなかったんだよ。それで朝青龍は組ませず、把瑠都を葬り去ろうとしたんだろうね」(前同)
大一番のウラには意外な真実あり。この九州場所も、そんな目で観戦すると、また違った風景が見えてくるかもしれない。

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