スポーツ紙が報じない「原辰徳と巨人軍」35年目の決別の画像
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 ONなき後の“巨人4番”を担い、指揮官としても12年。“ジャイアンツ愛”を貫いた男に何が訪れたのか――!?「原さんが巨人のユニフォームに袖を通すことは、もうないだろうな……」ある読売関係者は、こう呟いた。巨人監督として、通算12シーズンの指揮を執った原辰徳氏(57)の勇退が確実となったのは、ヤクルトとのCSで敗退が決定した10月17日のことだった。

 その翌々日、原氏は渡邉恒雄球団最高顧問に監督職の辞意を伝えている。1980年に東海大からドラフト1位指名で巨人に入団。ONなき後の巨人の4番の重責を担い、現役引退後は監督として通算1715試合を指揮し、リーグ優勝7回、日本一3回という輝かしい戦績を記録した原氏。その原氏と球団の間に今、“隙間風”が吹き始めているという。「原さんは、高橋由伸新監督の就任会見にも姿を見せず、11月23日のファンの集いにも出席しませんでした。常々“ジャイアンツ愛”を公言していた原さんだけに、不可解としか言いようがありません」(スポーツ紙デスク)

 原氏と球団の間に、いったい何があったのだろうか。両者の関係が微妙となった原因は、15年シーズンにあるという。「今年が2年契約の最終年ということもあって、メディアはシーズン前から原監督の進退問題を書きたてました。加えて相次ぐ主力の怪我、選手の高齢化などの逆風の中で、リーグ最低ランクの“打てない打線”を抱えながら、ペナントレースを戦わなければならなかった。原監督の心中が穏やかでなかったことは確かでしょうね」(巨人番記者)

 そんな中、原巨人は健闘していたとも言えるが、メディアは「弱い巨人」の要因を原采配に求め、退任を既定路線のように報じた。「今季は日本テレビや読売新聞に、ファンからの苦情が殺到。その多くは巨人の不甲斐なさ、原采配を批判するものだったといいます」(球界関係者)

 新聞社が親会社である巨人は、こうしたファンの意見に敏感に反応するのがならいで、フロントはシーズン序盤から後任擁立に向けて動いていたという。「原監督は巨人の低迷を早くから予測しており、フロントにも補強案を具体的に提案していたといいます。ところが、昨オフは満足な補強ができなかった。原監督にしてみれば、ペナントで苦境に立たされたのも“俺だけのせいではない”というのが本音だったはずです」(前同)

 原監督のフロントへの怒りは、シーズンが進むほどに増していったという。ただ、決定的だったのは、6月に行われた読売グループの人事異動だったようだ。この人事で、山口寿一氏が読売新聞東京本社社長となり、渡邉氏に次ぐグループ“ナンバー2”に就任。同時に原沢敦GMが解任され、後任として読売新聞東京本社運動部長の堤辰佳氏のGM就任が発表された。「山口氏、堤氏は、巨人をメジャー流のフロント主導のチームに作り変えたいという思いを持っていました。彼らにとって、監督生活12年目に突入し、“言うべきは言う”原監督は煙たい存在だったのかもしれません」(前出のデスク)

 優勝すれば続投もありえたというが、山口、堤両氏の就任で、原続投は風前の灯となったとされる。その“風向き”を原監督が肌で感じる事件もあった。「例年、オールスター明けに来季補強案についてフロントから監督にお伺いがあるんですが、今季はそれがなかったんです。原監督はこれを気にして、周囲に“オレはお払い箱みたいだよ”と、こぼしていたようですね」(前同) この一件で、原監督の球団への不信はさらに増したという。

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