「ただ、この頃、巨人のフロントも混乱を極めていたんです。山口社長は川相昌弘二軍監督を後任に推していたといいますが、日テレ側は江川卓氏を猛プッシュしていました。“優勝すれば原続投”も視野に、川相と江川の二者択一で調整しようとしていたようですが、具体的な動きは取れないでいたんです」(同)

 その理由は、“読売のドン”である渡邉最高顧問の意向が「原の次は松井秀喜、その次が由伸で、その次が阿部慎之助」だったからだ。「ナベツネさんの機嫌を損ねてしまっては大変だと、巨人フロントは本命の“松井詣で”を行います。メジャーでオールスターが開催される7月上旬に、まず久保博球団社長が渡米、松井本人の意向を確認しました。8月に入ると堤GMも渡米し、松井に最終確認を行っています。ここで松井は、“自分は今、監督をやる気はない”と話したようです」(前出の関係者)

 松井に、その気なしを確認した球団は、改めて別の後任候補選びに着手することとなった。時すでに8月半ば。ペナントは、もう終盤に差し掛かっていた。「ただ、球団幹部がナベツネさんの指示を仰ごうとしても、空振りの日々が続いたようです。今年の夏はナベツネさんは政界工作に忙しく、野球にかまっていられなかったようなんです」(前同)

 稀代の“政界のフィクサー”としても知られる渡邉最高顧問は、安倍談話の内容へ影響力を行使しようとしたり、消費税10%導入後の軽減税率に関する提言に忙殺されていたという。「待てど暮らせどナベツネさんの“天の声”が下りてこないので、球団は恐慌をきたしたようです。結果として、原さんはそっちのけで、決定打を欠く中“ああでもない、こうでもない”と後任探しをやっていたわけです」(同)

 結局、由伸新監督で落ち着いたのは、9月も半ばになってからだという。「球団がナベツネさんに“川相か、江川か”を提案したところ、ナベツネさんは“川相は地味すぎる”と一刀両断。すわ、江川新監督誕生かとなったんですが、球団内では例の野球賭博問題がくすぶり始めていたんです。これで急転直下、江川の目もなくなり、急遽(きゅうきょ)、泥縄よろしく由伸を説得することになったわけです」(同)

 江川監督だと、“空白の1日”などの話を蒸し返され、賭博問題で揺れる巨人の負のイメージを払拭(ふっしょく)できないというのが、球団首脳の判断だったようだ。「原さんはこの間、終始、蚊帳の外に置かれています。8日にBS日テレで由伸との新旧対談番組が放送されますが、原さんは実は由伸政権発足にはまったく関与していません。一部マスコミは由伸政権は“原院政”などと報じていますが、これは根も葉もないことです」(同)

 原氏と運命を共にするべきコーチ陣の多くが留任しているのも、「ドタバタで組閣の時間がなかったから」(同)というのが正解。原氏の就任する「球団特別顧問」という肩書も前例がなく、「単なる名誉職」(同)という声が根強い。80年の入団以来、35年の長きにわたり、人生を巨人球団に捧げてきた男の胸には、今、何が去来しているだろうか――。

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