KinKi Kids・堂本光一に見出された「苦労人ジャニーズ」屋良朝幸の画像
KinKi Kids・堂本光一に見出された「苦労人ジャニーズ」屋良朝幸の画像

 生田斗真のように、スクリーンで光り輝く存在ではない。風間俊介のように、ドラマ、映画、舞台でマルチな才能を発揮するタイプでもない。しかし、ジャニーズ事務所の俳優部門を担っているキーマンが屋良朝幸だ。12歳で入所して、ジャニーズJr.黄金期を支えて早20年。現在の肩書は、ミュージカル俳優。そして、振付師だ。

 同期は、タッキー&翼の滝沢秀明と今井翼。中学生のころは、3人でマイクを手にして歌う機会に恵まれ、次期デビューと目された。しかし、運命の歯車はいつしか悪戯に狂いだし、滝沢と今井のコンビ活動が急増する。02年には、タッキー&翼が歌手デビューした。チャンスを逃した屋良は、気づけば18歳を過ぎており、Jr.内のユニットであるジャニーズSr.(シニア)に振り分けられた。これはお払い箱を意味するとも言われた。退所を考えたり、髪を金色に染めたり、後輩の関ジャニ∞がデビューしたときには、心が完全に荒んだ。

 そんな屋良に救いの手を差し伸べたのは、KinKi Kids・堂本光一だ。23歳になった屋良に、ソロライブで披露する曲のダンスをつけてほしいと依頼したのだ。すでに、少年隊のシングルレコードの振りをつけた実績があったため、そのキャリアを生かし、持てる才能を振り絞った。これを機に、光一のライフワークといえるミュージカル『SHOCK』シリーズで欠かすことができない存在の役者となり、振付師としてKinKi、嵐、関ジャニ、タキつばなども担当するようになる。12年には、苦節17年にして初の主演ミュージカル『道化の瞳』を成功させ、その後も順調に舞台に立ち続けている屋良。アイドルとして一度挫折したが、ダンスの才能を花開かせ、ダンサー、振付師として、さらに役者として確たる地位を築き上げた。いまではジャニーズミュージカル最大の貢献者であり、屋台骨としてジャニーズを支える一人となった。

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