往年のプロ野球選手「屋鋪要インタビュー」ドラ6からスーパーカートリオに!の画像
往年のプロ野球選手「屋鋪要インタビュー」ドラ6からスーパーカートリオに!の画像

 懐かしき「スーパーカートリオ」の一人、屋鋪要氏。77年、ドラフト6位で横浜大洋ホエールズの指名を受けた。この年の大洋では最下位指名。屋鋪氏に当時のことを振り返ってもらった。「スカウトは来ていたので、指名はあるだろうと思っていました。兵庫県の三田学園だったので、地元の阪神に入れればいいなと思っていました」地元からは遠い大洋からの指名で、さらに下位。大学進学は考えなかったのだろうか?

「甲子園で活躍したわけでもないですし、6位でも名誉なことです。ドラフトの順位に価値があると思っていませんでしたし、同期が眼中になかったんです」

 挑戦的な言葉に聞こえるが、真意はそうではない。「当時の大洋の外野は長崎慶一さん、中塚政幸さん、高木好一さんと力のある選手が揃っていたんです。ここに、どう食い込もうかと考えなきゃいけなかったですから」

 右打者で飛距離には自信があった屋鋪氏だが、手首を怪我したことで転機を迎える。 「足を評価されていたし、スイッチヒッターに転向したんです。それで道が開けました。もし右打者のままだったら? 30本打っていたかもしれませんけど、それは分かりませんね」

 自慢の俊足を活かし、高木豊、加藤博一とともに「スーパーカートリオ」と呼ばれ、欠かせない存在になった屋鋪氏。盗塁王にも3度輝いた。93年に自由契約となると、巨人に移籍。翌年、シーズン優勝と日本一に貢献した。

 引退後は、野球教室などでアマチュア育成に尽力。「横浜の乙坂智、関根大気やヤクルトの奥村展征らと関わりました。彼らは上位ではありませんが、一軍で頑張っています。1年でも2年でも長く野球を続けられる子どもたちを育てたいですね」 屋鋪氏のような個性的でいぶし銀な活躍をする選手が出てきてほしいものだ。

屋鋪要 やしき・かなめ
1959年6月11日生まれ(三田学園高-大洋-巨人)77年ドラフト6位で大洋に入団。俊足と攻守でチームの要となる。94年に巨人に移籍し、95年に引退。現在は野球教室を開く一方、大の鉄道好きとして知られる。

本日の新着記事を読む