琴奨菊、18年ぶりの日本人綱取りへ「春場所で優勝できる根拠」の画像
琴奨菊、18年ぶりの日本人綱取りへ「春場所で優勝できる根拠」の画像

 長きにわたる艱難辛苦を乗り越え、179センチ・180キロの巨体を誇る“柳川の石臼”が、ついに相撲界の最高位に到達する!

「ついに、18年ぶりの日本人力士の綱取りに“待ったなし”ですよ!」 相撲協会関係者が期待を寄せるのは、初場所を制した大関・琴奨菊(32)だ。「初場所では10日目から、鶴竜、白鵬、日馬富士とモンゴル人横綱を3日連続で一蹴。13日目に同期でライバルの豊ノ島に敗れ、初黒星を喫しましたが、14勝1敗の成績で初優勝を果たしました」(夕刊紙記者)

 2006年初場所の栃東以来、10年ぶりの日本出身力士の優勝。58場所連続した外国出身力士の、また、23場所続いていたモンゴル出身力士の優勝に、ついに“待った”をかけた形だ。「他にも記録ずくめ。31歳11か月での初優勝は、昭和以降でもトップ3に入る遅さ。大関昇進後でいえば、26場所目での史上最スローの初優勝です」(前同) 相撲協会トップの八角親方(52・元横綱・北勝海)も、「14勝1敗は立派。3横綱に勝ったのも大きい。しかもいい内容」と称賛。「そこで気になるのは来場所の綱取りです。八角理事長も確定的な言葉ではありませんでしたが“(再び)3横綱を倒すとか、内容じゃない? 連続優勝となればね”と、横綱審議委員会の内規にある<大関で2場所連続優勝>なら横綱、を暗に認めました」(スポーツ紙記者)

 最後の日本人横綱の誕生は、1998年名古屋場所のこと。その当人である三代目若乃花の花田虎上(まさる)氏は、自身のツイッターで、こうつづった。<この優勝が新たな人気の起爆剤となり、日本人力士が今後も結果を残すことが重要であり、外国人力士と共に相撲界を盛り上げて行ってくれる事を願います>

 そんな“未来の横綱”琴奨菊は、福岡県柳川市出身。小学3年生のとき、大相撲の大ファンだった祖父の下、相撲を始めた。「08年に亡くなった祖父の一男さんは、相撲経験はなかったそうですが、自宅の庭に土俵を作り、毎日2時間の稽古。初場所千秋楽に駆けつけた両親が祖父の遺影を抱いていたのは、そのためです。琴奨菊も“最高の恩返しができた”と語っていました」(相撲記者) 中学、高校は相撲の強豪である高知の明徳義塾に通い、国体など高校7冠を獲得。そして二所ノ関一門の佐渡ケ嶽部屋へ入門する。「琴奨菊は“地元の巡業に訪れた貴乃花(現・貴乃花親方)の膝に乗ったことが今も大切な思い出”と語っていますが、奇しくも貴乃花は現役時代、二所ノ関一門の所属でした」(前同)

 02年、17歳で初土俵。05年の初場所で新入幕を果たすと、11年の九州場所で大関に昇進した。「しかし、決して順風満帆な土俵人生ではありませんでした。相次ぐ怪我で負け越すことも多く、負け越せば大関陥落となるカド番も5度経験。“ダメ大関”の烙印を押されたこともあります」(同)

 昨年7月の結婚直後にカド番で迎えた名古屋場所でも、一時は5勝7敗のピンチとなり、引退を考えたこともあるという。だが、その引退を思いとどまったのも、今回の優勝も、自身の誕生日の1月30日に挙式披露宴を行ったばかりの祐未夫人(29)の存在が大きい。「五分の星で迎えた名古屋場所の千秋楽、琴奨菊は変化を見せた。立ち合いで一直線に進む信念を曲げてでも勝ちに行ったのは、愛妻に大関陥落という辛い思いをさせたくない一心からでは。入籍時、“必ず優勝賜杯の隣に一緒に座らせてあげる”と約束したとも言います」(スポーツ紙デスク)

 その名古屋場所後からは、大型車のタイヤに重りを詰めたタイヤ引きや、ブルース・リーも行っていたという24キロのヤカン型器具を上下させるケトルベルトレーニングなどを取り入れた。「体幹を鍛え、その成果を実感する中で、プラス思考も身につけた」(前同)

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