馳浩が文部科学大臣になったときから「馳が着手すべき物件がある。それは組体操だ」と私は言い続けてきた。

 小中学校の運動会で「組体操」の事故が多発しているというニュースはご存じだろう。昨年秋の運動会シーズンのとき、私はTBSラジオ「荒川強啓デイ・キャッチ!」のコーナーで調べてみた。ポイントは、組体操は学習指導要領に入っておらず、あくまで各学校の特別活動でおこなわれている点だ。

 文科省に電話して聞いてみたら、文科省としては「特別活動に口をはさむことは各学校の自由を奪うことになる」という立場なのだ。たしかに、何でも国に決めてもらうのは時代に逆行する。しかし「危険な組体操」にかぎっては文科省の対応を求める声がすでに出ていた。

 そんなときに馳が文部科学大臣になった。馳は「危険な大技」についての第一人者である。バックドロップの受け身を取り損ねて心肺停止になったこともある。そのあと受け身に磨きをかけ、90年代の大技が高度化するプロレス界を引っ張った当事者だ。

「大技の高度化がとまらない」に隠れているのは「観客のとまらない欲望」である。この問題が不条理なのは、プロレスラーには観客からチケット代が支払われているけど、組体操はプロの興行でもなければ、専門的に毎日トレーニングしているわけではない。いわば観客や教師の感動や満足感のために“無料で”高度で危険な技をおこなっているのだ。

 しかし、なかなか組体操問題について事態は動かなかった。そして今週。『組み体操の安全性検討 超党派議連が発足』(東京新聞・2月17日)というニュースがあがった。

 組体操について考える超党派議員連盟の設立総会があり、今月中にも文部科学省に提言するという。馳浩文科相も出席し「組み体操は子どもに責任がないのに事故に遭う可能性がある。超党派で議論することが非常に重要だ」と発言した。

 私は組体操をすべてやめるべきだとは思っていないが、「危険な大技」「大技の高度化」には歯止めをかけたほうがいいと考える。それこそ、大技を受けとめる馳のプロレスを見てきたからだ。「馳じゃなかったら今の危ないな」と思ってきたからだ。

 どこかまだ馳大臣は運動会での危険な大技について他人事のような気がする。馳にとっては経験が生かされる物件だと思うのだが。

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