“活動休止”KAT-TUN亀梨和也がかつて抱いていた「夢」とはの画像
“活動休止”KAT-TUN亀梨和也がかつて抱いていた「夢」とはの画像

 KAT-TUN亀梨和也は、今月23日の誕生日でついに30の大台にのる。KAT-TUNとしてデビュー10周年にあたる今年は、田口淳之介の脱退後の4月から、初の3大ドームツアーが開始(4月3日ナゴヤドーム、同20日京セラドーム大阪、同30日&5月1日東京ドーム)される。そして先日、そのドームツアー終了後にKAT-TUNは活動休止すると発表された。

 亀梨個人では、主演ドラマ『怪盗 山猫』(日本テレビ系)も、スポーツキャスターを務める『Going!Sports&News』(日本テレビ系)も絶好調で、今クールはすっかり「日テレっ子」の印象が強い。そもそも亀梨がスポーツ番組で念願のレギュラー枠をゲットできたのは、小学校1年生から始めた野球のおかげだ。幼い頃から大の野球少年で、「和也」という名前も、大人気漫画『タッチ』の主人公・上杉和也から取られた。両親も野球が好きだったと推測される。

 そして亀梨は、小学生で野球人生の絶頂を経験する。小学6年生の時、地元・東京都江戸川区の「開催地枠」から「少年軟式野球世界大会」へ出場しているのだ。これは全国のリトルリーグで試合をおこない、勝ち上がった上位3組が世界大会に出場できるシステムだ。当時「江戸川東」に所属していた亀梨は、区代表チーム「オール江戸川」の一員に選抜され、世界の壁に挑んだのだ。2番でショート、かなりの有望株だったと思われる。

 進学した中学校には野球部がなかったため、硬式野球チームの名門・江戸川東リ卜ルシニアに入団する。俊足で守備もうまかったため、中1で即レギュラーの座を与えられ、主力選手となった。もちろん「将来の夢は甲子園」。そんな夢を抱いていたが、親戚が勝手にジャニーズ事務所に履歴書を送ったことで、それまでの生活が変化する。

 ダンスレッスンがある毎週日曜日は、野球の練習の日に重なる。当然、野球を優先していた。するとジャニー喜多川社長から直接電話があって「YOU、なんで来ないの?」と聞かれた。「野球があるんで」と答える亀梨に、ジャニーさんは「じゃあ、ジャニーズで野球やっちゃいなよ」と返答。それから恒例の「ジャニーズ野球大会」でピッチャーのポジションを与えられた。元野球少年のジャニーズタレントはほかにSMAP中居正広がいる。中居も亀梨も甲子園を諦めアイドルになったが、結果的にジャニーズでもトップアイドルとなった2人は、才能豊かな逸材だったのだろう。

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