冒頭の「永久に不滅です」の名言を残して現役引退したミスターは監督に転身。セオリーにこだわらないミスターの野球は「勘ピュータ」と揶揄された。しかし、長嶋には信念があった。

●<セオリー通りの安全な道ばかり歩いていては、生きがいなんか生まれませんよ。時には冒険も必要です>(『長嶋茂雄語録』)

 そんな長嶋野球が花開いたのが94年。日本プロ野球史上初めて同率首位で並んだ巨人と中日が、最終戦で雌雄を決した10・8決戦。この試合の直前、巨人の宿舎だったホテルの会議室でのミーティング中に、長嶋監督は「勝つ、絶対勝つ」と選手を鼓舞した。これは、

●<勝つ勝つ勝つ!>

 という名言として、今でも語り継がれている。そんなミスターにとってもう一つの願いが、

●<第二の長嶋茂雄を作りたい>(『長嶋茂雄語録』)

 ということ。松井秀喜こそが、その器であると見抜いたミスターは、ドラフトで松井を敢然と指名。「松井を巨人の4番バッターにするための1000日計画」を立て、高卒の松井を3年で巨人の4番打者に仕立て上げた。ミスターは松井に、

●<君は日本のジョー・ディマジオになれ>(前出の『長嶋茂雄物語』)

 と言ったが、実際に松井は渡米してディマジオのようにファンから愛されるメジャーの外野手となった。そして、愛されることではミスターの右に出る者はいない。今なら、きっとメジャーに行っていただろうミスターは、“おれも挑戦してみたい”という気持ちもあったのか、英語混じりの言い回しも得意技だった。

●<失敗は成功のマザー>

 のように有名な“愛され名言”は他にもある。

●<アイ・アム・失礼>

 これは75年アメリカ遠征の際に、洋服店と間違えてクリーニング屋に飛び込んでしまった時に出た言葉だ。そして締めくくりの名言は、これだ。

●<野球とは人生そのものだ>

長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督。80歳おめでとうございます。いつまでも元気で、我々を楽しませてください!

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