プロレスラーの「ハヤブサ」が3月3日にクモ膜下出血のため死去した。華麗な空中殺法を得意とする覆面レスラーだった彼は2001年、試合中のアクシデントで頸椎を損傷、全身不随となる重傷を負った。懸命なリハビリの末、ここ数年は車いすと杖で芸能活動ができるまでに回復、昨年8月には、『24時間テレビ38』に生出演して、リング復帰を約束していた。
そんな矢先の急逝、プロレス関係者の落胆は計り知れないものがあったが、同じく深い悲しみに陥ったであろうジャニーズアイドルがいる。それがタッキー&翼・滝沢秀明だ。
滝沢はプロレスファンの間で「若」と呼ばれるほど、大のプロレスマニアである。幼いころはプロレスラーになるのが夢で、入門希望の応募をしたこともあった。
しかし体が小さいため断念、友達と技をかけ合うのが楽しみだったという。幼い滝沢少年の心を奪ったのは、大仁田厚が旗揚げした「FMW」で次期エースとして活躍していた江崎英治、のちのハヤブサだった。
均整の取れたボディ、甘いマスク、多彩な技でプロレスファンのみならず、女性ファンのハートもガッチリ掴んだ江崎に、滝沢も執心した。自身のリングネームを「ハイキックソルジャー」と名づけたのも、覆面レスラーのハヤブサに憧れたからだ。
滝沢の趣味はマスク収集で、特にハヤブサのものは何枚も集めた。ジャニーズ事務所へ入所後は、獣神サンダー・ライガー本人からマスクを借り、コンサートの登場時にかぶったこともある。また、背中に「邪道」の文字が入った皮ジャンを着用したこともあるが、これは大仁田厚が着用した本物のリングコスチュームだという。
滝沢史上最大の事件といえば、00年3月26日の横浜アリーナ大会だ。『メモリアル力道山』のイベントで、世界一尊敬しているアントニオ猪木とプロレスで対決したのだ。ジャニーズJr.のスーパースターVS生きる伝説、まさに頂上対決ともいえる結果は、滝沢が見事勝利を収めた。この大一番は彼にとって、東京ドームの満員公演より興奮したに違いない。
プロレス好きなジャニーズアイドル滝沢は筋トレも好きで、風呂あがりに汗だくでレスラーのマネをするのも大好き。トレーニング中に思い浮かべるのは決まって、プロレスラーのハードな練習風景だ。愛読書は『週刊プロレス』で、アメリカに行き「WWE」を生観戦したこともある。
夢のデートは、一緒にプロレス観戦をすること。昨今の「プ女子(プロレス好き女子)」ブームに便乗し、タッキーと観戦できるのなら……と慌ててリングに熱視線を注ぐジャニヲタも現れるかもしれない。